カントー大学の元FUJI奨学生にインタービューしました。
おふたりは、現在、カントー大学農学部の先生になっていました。
FUJI奨学金授与の旅でカントー大学を訪問する前夜(2019年10月2日)、FUJI奨学金の奨学生だったおふたりに、当時のお話などをうかがいました。
同学部の先生で、 2018年、ニュージーランドで博士号を取得された Le Phan Thanh(タイン)先生
カントー大学農学部長をされている Le Vin Vang(ヴァン)先生
です。
Le Phan Thanh(タイン)先生
タイン先生は植物防疫学科の先生で、専門は植物(柑橘類)の病気に関する研究です。この学科には、先生が14人、学生は800人弱います。
先生は、1999-2000年度にFUJI奨学金を受けました。
先生の実家はカントー大学から自転車で30分のところにあり、大学へは通学していました。
しかし、家は経済的に困難な農家で、FUJI奨学金は学費と本や勉強するために使いました。
1990年代、カントー大学にはFUJI以外の奨学金はほとんどなく、当時の私たちにとってFUJI奨学金は大きな存在で、物質的だけでなく精神的にも励まされました。
奨学金を渡しに来るのは、ほかの奨学金の場合は代表の方1人というのが普通ですが、FUJI奨学金の場合はたくさんの方が来てくれるのが印象的で、とても励まされました。
これからも長く、FUJI奨学金をつづけてください。
Le Vin Vang(ヴァン)先生
専門はタイン先生と同じく植物の病気に関する研究で、現在はカントー大学農学部長をされています。
カントー大学農学部には8学科あり、先生は118人、学生は約4,900人います。
先生は1995-1996年にFUJI奨学金を受けました (注:FUJU奨学基金になる前年です)。
当時、大学の学費は無料でしたが生活はとても困難で、本や勉強に必要なものを買うのに、FUJI奨学金はとても大きな援助でした。
住んでいた大学の学生寮は、雨が降ると足のくるぶしまで水があふれてきたことを思い出します。
カントー大学に対する日本のODA援助が始まったのは1996年のことです。当時、外国から奨学金をもらうということは、私たちにとって、「勉強しろ」という大きなプレッシャーでした。
それに加え、とくに日本からの奨学金をもらうということは、大きな名誉でもありました。
カントー大学農学部の学生たちの多くはメコンデルタ地方から来ていて、貧しい農家の出身者がほとんどです。FUJI奨学金をいただくことは、いまでも経済的に大きなことです。精神的な励ましの意味も大きいです。
いま、カントー大学農学部でFUJI奨学金を受けたOBたちが集まってみようと考えています。