オケオとNui Ba The(バテ山;標高190m)

「扶南 (ふなん) 国」(中国の呼称)は、紀元1世紀ごろ、メコン川下流域に、オーストロネシア系が建国したといわれています。扶南国は交易国家として5世紀に全盛を迎えたものの、7世紀にはクメール人の王国「真臘 (しんろう Chân Lạp)」によって滅ぼされました。

クメール語で「水晶の運河」を意味する「オケオはインド等(西方)と中国(東方)の間の長距離交易と、メコン川流域の域内交流を結び付けた重要な遺跡と言われ」(船引彩子・久保純子・南雲直子・山形眞理子・グエン キエン「メコンデルタ,オケオ遺跡における古代運河の形成」『日本地理学会発表要旨集 2019s(0), 212, 2019』公益社団法人 日本地理学会より)、 ヒンドゥーの神像や仏像、漢の鏡、ローマのマルクス・アウレリウス金貨などが発掘されています。

バテ山;標高190m
オケオにあるバテ山;標高190m。この周辺から アンコール・ボレイ へ、運河がつながっていた。

「扶南国時代、オケオと周辺をつなぐ運河のひとつは、北北西に約67km離れたカンボジアのアンコール・ボレイ遺跡にまで繋がっていた。また下流側は、メコン川を下って南シナ海へと出るルートではなく、運河によってタイランド湾へとつながっていた」(同前)とのことで、 ここが、扶南国の外港として栄えたことを物語っています。

パテ山のふもとから約1.5km南東に、オケオ遺跡がありました。発掘された遺構は、2か所に分かれていました。

水が流れる溝が張り巡らされ、洗い場なのか清め処なのか、水がたまるところも各所にありました。

 「扶南 (ふなん) 国」(中国の呼称)は、紀元1世紀ごろ、メコン川下流域に、オーストロネシア系が建国したといわれています。扶南国は交易国家として5世紀に全盛を迎えたものの、7世紀にはクメール人の王国「真臘 (しんろう)」によって滅ぼされました。
パテ山のふもとから約1.5km南東に、オケオ遺跡がありました。発掘された遺構は、2か所に分かれていました。

アンザン省の省都ロンスエンに、アンザン省博物館があります。私が見学に訪れたとき、前年に行って見てきたばかりのニントゥアン省のチャム族およびチャム塔に関する特別展を開催していました。常設展には、オケオおよびメコンデルタ南部の遺跡から発掘された出土品が展示してあります。
なお、ホーチミン市にあるベトナム歴史博物館(Bảo tàng Lịch sử Việt Nam)、ホーチミン市美術館(Bảo tàng Mỹ thuật Thành phố Hồ Chí Minh)にも、オケオ文化の出土品を展示しています。

アンザン省博物館の「オケオ文化」展示室

紀元5世紀ごろ、このように発達した文明がベトナム南部に存在していたのですね!
同じころ、ベトナム中部にいたチャム人も紀元192年に「林邑」国を樹立し、中国とインドとのあいだの海上交易ネットワークで活躍をはじめていました。

オケオについて、ネットからの引用で、もう少し詳しい説明を付け加えておきます。

以下、Óc Eo from Wikipedia, the free encyclopedia ( This page was last edited on 4 September 2019, at 17:49 (UTC). ) およびその翻訳 (ページの最終校正年月日 : 09/27/2015 15:31:58 ) からの引用です。

「オケオ (Óc Eo、クメール語の “O’keo” に由来し、ガラスの運河の意味) はベトナムのメコン・デルタにある ベトナムの南部の アンザン省 のトアイソン郡 (Thoại Sơn District) にある古代遺跡 (archeological site) である。 また現在のベトナムの共同自治体 (commune) でもある。 オケオは 1 世紀から 7 世紀にかけての扶南 (Funan) 王国の活発な港であった可能性がある。 学者は “オケオ文明” の言葉を使用して、 オケオで発掘調査から見つかった人工物に象徴されるメコン・デルタの古代物質文化を言及している。」
[Óc Eo (French, from Khmer: អូរកែវ, O Keo, “Glass Canal”) is an archaeological site in Thoại Sơn District in southern An Giang Province, Vietnam, in the Mekong River Delta. Óc Eo may have been a busy port of the kingdom of Funan between the 2nd century BC and 12th centuries.[1]
Scholars use the term “Óc Eo Culture” to refer to the archaeological culture of the Mekong Delta region that is typified by the artifacts recovered at Óc Eo through archeological investigation.]

「オケオはメコン・デルタの低平地地帯を十字に交差する古代運河のネットワークに位置している。 運河の一つはオケオと港をつなぎ、 一方で北北西のアンコール・ボレイ (Angkor Borei) まで42マイルをつないでいる。 オケオは運河により南北方向に両断されており、 4 つの横断運河があり、 このそばに恐らくは物資集積庫が展開されていた。」
[Óc Eo is situated within a network of ancient canals that crisscross the low flatland of the Mekong Delta. One of the canals connects Óc Eo to the town’s seaport while another goes 68 kilometres (42 mi) north-northeast to Angkor Borei. Óc Eo is longitudinally bisected by a canal, and there are four transverse canals along which pile-supported houses were perhaps ranged.]

「オケオの物質文明を反映する考古遺跡は南ベトナムを通じて広がっているが、 メコン・デルタに重点的に集約され、 これは ホーチミン市 (Ho Chi Minh City) の南と西に限定されている。 最も顕著な場所は ティエンザン川の北にある サップ・ムオイ (Tháp Muời) にあり、 他の遺物と共に 6 世紀のサンスクリット語による銘額が発見されている。」
[Archaeological sites reflecting the material culture of Óc Eo are spread throughout southern Vietnam, but are most heavily concentrated in the area of the Mekong Delta to the south and west of Ho Chi Minh City. The most significant site, aside from Óc Eo itself, is at Tháp Muời north of the Tien Giang River, where among other remains a stele with a 6th-century Sanskrit text has been discovered.]

Óc Eo ( https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%93c_Eo )
  上記邦訳 ( http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/mathematics/oceo.htm )

オケオに関する最近の記事(”Vietnam+” 紙、2019年11月12日付)を紹介します。
 Văn hóa Óc Eo – Dấu ấn nền văn hóa cổ của vùng đất Nam Bộ
東京外国語大学「日本語で読む世界のメディア」に翻訳(翻訳者:山本美帆)があります。
 オケオ文化―南部地方の古代文化の痕跡

ベトナムの紹介(写真)