胡朝の城塞への入口

胡朝の城塞 (Citadel of the Ho Dynasty) は、世界遺産に登録しているにもかかわらず観光客は数人で、静かに、どっしりと、広い平地に在りました。
ここはハノイから遠く交通不便なところなので、もともと訪れる人が少ないうえに、訪れても「なんだ~!」とがっかりする方が多いようです。
ベトナムにある他の世界遺産にくらべて、たしかに地味です。
でも、歴史や成立思想について知ると、その価値が分かってきました。
どなたか、胡朝の城塞について、日本語でわかりやすく解説していただけないかな・・・。

1辺約880mの正方形につくられた城壁の各辺の中央に城門があります。写真は南門です。城門を構成している石の大きさに注目してください。北側から見た南門です。

風水って、山や起伏や水の流れといった地形(あるいは土地の「気」)を判断して建築物や都市を造っていくこと(単純化しすぎですね)で、ベトナムでは、いまでも風水を重視しているそうです。
たとえば、一般財団霞山会ホームページに、ハノイに設計事務所をもっておられる竹森紘臣さんが「ベトナム生活図譜」を連載しています。その第27回が「ベトナムの風水」(2019-05-17) です。
また、ベトナム在住の建築家・西島氏にベトナム在住のライター・水嶋氏がインタビューしている、こんな会話があります。

ベトナムの建築を語る上で風水を切り離すことはできず、クライアントからのヒアリングにおいて、あとになって風水の観点で設計変更が起こらないように気をつけることが重要なのだとか。それでもやはり、あとあと風水師の一言で変わってしまうこともあるらしい。

私 [注:ベトナム在住ライターのネルソン水嶋氏]「大変じゃないですか? 風水師並みに勉強しない限り、把握できないでしょうし」

西島氏「それはそうですが、建築士なら押さえておくべき基本の風水もあります」

私「基本の風水!?……たとえば?」

西島氏「住居内の階段の段数は4で割った余りが1か2でないといけないとか」

私「め、面倒くさい……!」

西島氏「1から4までの数字に意味があるんです。1が生、2が長寿、3が病気、4が死。5以上の数字は、4で割った余りが1か2なら歓迎されて、逆に3と4は忌避される」

「日本とは全然違う!? 「風水」や「日陰」を重視するベトナム建築」(2017/8/24 19:01 ネタりかコンテンツ部)

胡朝の城塞も、風水によってつくられたそうです。私は朱子学や風水についての知識をもっていませんが、下の地図(現地の博物館展示)を見ると、南北方向にある山と山をつなぐ軸線上に城塞があるし、龍のように蛇行した川にはさまれているし、なんとなく、ふうすいだな~、という気がしてきます。

②が城塞。その西側をながれるのがMa川、東側がBuoi川。緩衝地帯には、宗教的な記念碑、洞窟、伝統的な村、共同住宅、古代の道路、市場、はしけ、景勝地など、胡朝の首都の文化的な要素がふくまれています。

風水原理に則って建設されており、14世紀末のベトナムにおける朱子学の開花と、その東アジアの他地域への普及に関する証拠となっている。 これらの原理に従って、マ川とブオイ川に挟まれた平野にそびえるチュオンソン山とドンソン山を結ぶ軸線上の風光明媚な地が選ばれ、この城塞は建設された。

UNESCO「Citadel of the Ho Dynasty」UNESCO » Culture » World Heritage Centre » The List » World Heritage List
城内および緩衝地帯にある文化的な建造物、自然の川や山の紹介

説明が長くなって恐縮ですが、胡朝が成立していたのは、わずか6年間だったという歴史を簡単に振り返っておきましょう。

ベトナムでは966年、独立王朝の丁朝が成立し、首都がホアルー(ニンビン省)に置かれました。
李朝1009-1225年)になって李朝大越国が建てられ、昇龍(タンロン=現在のハノイ)に都を移し、長期的な政権が成立しました。文廟ができ、科挙制度が導入されました。
しかし1225年、陳氏が弱体化した李朝を倒し、引きつづき都をタンロンにして陳朝大越国を建てました。陳朝の時代、ベトナム最初の歴史書『大越史記』が編纂され、チュノム文字がつくられました。チャン・フン・ダオ(陳興道)が総指揮官となって3回のモンゴル襲来を退けたものの、国力はおとろえ、長女を第11代陳朝皇帝の皇后に嫁がせたレ・クイ・リ(黎季犂)に実権を握られます。
レ・クイ・リは首都をタインホアに移し、1400年、ホ・クイ・リ(胡季犂)と名のって胡朝を建てます1406年、侵攻してきた明軍に敗れ、首都を奪われ胡朝は滅びます

まずは、南門に登って、四方を見まわします。

南側から見た南門。門の向こうに、この区域に入場するゲートの遮断機が見えます。門の左右の斜面から、門の上に登れます。
南門に登って、南方向を見ています。この区域に入場するゲートの遮断機が見えます。
南門に登って、北方向(城壁内)を見ています。城壁の内側はいま、たんぼになっています。真っすぐ伸びる道のはるか遠くに見える林のあたりに北門があります。その先の一直線上に、かすかにTHO TUONG山が見えます。

なお城壁は東西南北にきっちり向いていません。南北軸に対して30度傾いていて、これは風水によるそうです。

南門から城壁の外側に沿って東門までまわってみます。「胡朝の城壁」が、地元の人たちの生活にとけこんで、共生している様子がうかがえます。

東門です。

東門から城壁内に入り、南門―北門、東門―西門を十字につなぐ道をセンターまで行き、そこから北門に向かいました。

北に向かい、十字路をとおって南門に戻りました。

この巨大な石(石灰岩)を、どこから、どうやって運び、どうやって門に組み立てたのでしょうか?
南門の脇に小さい博物館に、その謎を説明する絵がありました。(写真をクリックしてください。簡単な説明を書きました)

胡朝の城塞について興味をもたれた方は、
  知ろうベトナム! 胡朝城 Thành Nhà Hồ
  UNESCO » Culture » World Heritage Centre » The List » World Heritage List » Citadel of the Ho Dynasty
に詳しい説明が載っています。

ベトナムの紹介(写真)