カントー大学(Can Tho Univ.)のFUJI奨学金授与式

カントー大学農学部校舎が日本のODAで建設された。

ベトナムでは、カントー市も含めてメコンデルタ一帯は新型コロナウイルスの感染が急激に爆発していて、大変な状況がつづいていました。
新学期が始まっても生徒や学生は学校に登校できず、やむなくオンライン授業でした。
こうしたなか、カントー大学でのFUJI奨学金授与式が2021年11月13日、オンラインで行われました。

授与式はベトナム語で行われました。ここでは、その内容を要約して日本語で紹介します。

授与式を収録した下記の録画ビデオが見られないときは、https://qr.paps.jp/2NNA1 をクリックしてください。

3:00(3分後)ごろから始まります。

奨学金授与式(オンライン)

まず MC から参加者の紹介

FUJI 側はミンルーン、大学側は農学部部長バン先生、農学部副事務局長ユン先生 (男性)、学生係のホア先生 (女性)、司会で植物生理学のタオ先生 (女性)、そして奨学生6名 (女性3名、男性3名)。

続いて、農学部部長と大学学長が 「FUJI 教育基金からの2021-2022 年度のお知らせ」 に基づいて、今回の奨学金授与に関して行った決定内容を紹介。

途中、FUJIのIさんが入ってちょっと覗いたので、皆が喜びました。残念ながら私用のため、すぐに退出。

バン先生

トリンさん(女性)が奨学生全員に代わってお礼の言葉

奨学生の中に家庭事情はそれぞれ違いますが、ただ一つ同じなのが経済的に貧しいことです。

自分の一番大きな夢は、高校までの12年間の間一生懸命学んだ後、大学に進学し、知識を広めて、卒業したら、希望した職業の安定した仕事に就き、それまで両親や祖父母が自分を育てていただいた見返りに、今度は自分が両親と祖父母の面倒をみれるような経済的な基盤作りたいことです。
両親と祖父母が苦労してお金を少しずつ稼ぎ、私たちを学校に送り出した期待は、今の自分たちのような大変な生活にならないよう、私たちがまた同じ境遇にならないように安定した生活を送ってほしいからです。

そのような厳しい家庭状況なので、 FUJI 奨学金をもらえると知らせていただいた時は、大変ラッキーで幸せと感じました。
これは私たちが勉強にもっと努力できる励ましの源だと、FUJI の方々に感謝しています。これから学業にもっと頑張って、卒業したらよりよい生活ができて、より安定した生活を送れるようにしたいです。

FUJI の方々のご支援に対して改めて感謝を申し上げます。
また、この奨学金がもらえるように機会を作っていただいた先生方にも感謝いたします。
学生たちが自分たちの夢を実現できるように支援していただき、ありがとうございました。

奨学生との交流

MC が式終了を宣言したのですが、ルーンからこういう機会は貴重なので時間を延長し、奨学生の自己紹介(それぞれ専門の説明など)など交流することを提案し、了承されました。

FUJI教育基金の紹介

学生からなかなか質問が出ないので、とりあえず、ルーンが教育基金の名前 FUJIの意味、日本の有名な富士山のことについて説明しました。

ベトナム人はだれもFUJI の意味が分かりませんので、北部のある学校が勘違いして授与式のときに、

【”FUJI FILMの代表団を歓迎する

という横断幕を掲げたことがあります。

というエピソードを披露し、一同、笑い!

「何かわからない時はなるべく聞いて、確認してからやるべきで、遠慮して自分の考えでやってしまうことはよくない」と説きました。

さて、FUJI 教育基金はこのカントー大学から始まりました。
当時、スアン先生、キム先生は日本留学経験があるので知り合いでした。1980年の初め、先生たちに再会するためカントー大学を訪問しました。
寮を見学したら、大変粗末な建物というか掘っ立て小屋のような感じだったのです。

これは何とかしてあげないといけないと思い、日本に戻って親友に相談したら、奨学金を、特に農学部の学生にあげようということになりました。
このことを、だんだん日本人も含めた他の友人たちが知り、参加するようになりました。そして基金にしたほうがいいという意見があり、1996年に奨学基金が出来上がりました。

今では南部、北部、中部の8つの学校に奨学金を贈っていて、毎年有志でベトナムに行って直接奨学生たちに奨学金を渡すなど、奨学基金が出来てからでも、もう25年が経ちました。
最近コロナ禍のせいで、昨年と今年はベトナムには行けないのですが、奨学金授与は各学校にお願いして続けています。

金額にしては大したことではなく、学費、生活などのすべてをカバーできないかもしれないけれど、精神的な意味合いは大きいと思います。
皆さんが努力してよい成績を収め、将来成功した時は後輩たちに 助けてあげるようにしていただければ何よりです。
これは FUJI のメンバーたちの願いでもあります。

奨学生たちが専門のことなど自己紹介

その中で、女性のホアン (HOANG) さんのお父さんはシッパーをやっていて、毎日味噌や豆腐よう (腐乳) を工場から市場まで運んでいるそうです。

バン学部長の話

FUJIの皆さんとカントー大学農学部との付き合いはもう長く、1990年初めから今まで約30年です。当時は、あなたたち(奨学生たち)の両親も若かったころです。この間、たくさんの学生が FUJI 奨学金をもらって勉強しました。僕やタン (THANH、男性で植物防疫学科の副学科長) 先生もそうです。
今コロナ禍が世界中猛威を振るっているのに、 FUJI 教育基金がこのように相変わらず奨学金を贈り続けていただいているのは大変貴重です。

できればいつか、この奨学金をもらった人たちが集まって会うことを期待しています。

奨学生からの質問

質問:ルーンさん、ミンさんは、日本に50年以上いたとのことですが、どうしてベトナム語を忘れなくて上手に話せるのでしょうか?

ルーンの返事:普段の生活は隔離されているわけではなく、周りにベトナム人のコミュニティがあり、よく会うし、また仕事で頻繁にベトナムに戻りますので、ベトナム語は忘れません。

将来の仕事について、奨学生の返事

卒業したら勉強の専門を生かして、それぞれ食品の品質検査や農業生産、家畜の養殖などの仕事をしたいとのことです。なかには成功している先輩たちもかなりいますので、成功を目指して頑張ります。

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