【カントー大学】2000年当時
ベトナム南部メコンデルタ地帯のカントー省省都(ホーチミン市から約170キロ西南)にある国立総合大学。医学部、農学部、経済学部、社会科学部などがあります。
全学で学生数1万2,000人(1999年)。
農学部は、メコンデルタ地帯の農業についての中心的教育研究機関という、重要な役割をもっています。
1996年、日本の援助で新校舎が建てられました。敷地は総計140町歩、キャンパスで遠いところは200キロ以上離れています。農学部の学生は2,000人、9学科あります。
日本とは農工大との間に姉妹提携があり、東京農大と九大とは密接な関係を持っていて、JICA派遣の研究者もおり、JICAとのミニプロジェクトもあります。そのほか、ベルギー、フィンランド、デンマーク、アメリカ、シドニー、タイ、マレーシア、中国、インドなどの諸国ともかかわりをもっています。
農学部は現在修士課程だけですが、博士課程も申請中です。教員のレベルアップのため、日本に5人を派遣し、博士号をとらせようとしています。
なお、カントー大学には毎年3万7,000人が受験しますが、合格者は4,000人です。
【カントー大学奨学金授与式】2000年10月6日(金)
FUJI奨学基金の代表は、2000年10月6日カントー大学を訪れ、奨学金授与式に出席しました。
農学部の講堂には、午後3時に、学生たち、大学側からは副学長ルック (MR. CHAU VAN LUC) 先生、農学部長ベー先生、農学部キム先生ほかが待っていてくださいました。
この講堂をふくむ農学部の校舎は、日本のODA援助(政府開発援助)で1996年に出来たとのこと。1995年にここを訪問したときは、ちょうど建築中だったことを思い出しました。当時の校舎は木造の旧い建物でした。
校舎は2階建てで、いくつかの建物をつなぐ回廊のまんなかに池があり、金魚が泳いでいます。この池に、日本側の設計者はこだわったそうです。
FUJI奨学基金からは、これまでに310人に奨学金を給付しています。今回、2000-2001年度は、奨学基金から36人のほか、寄付によって、さらに10人に奨学金を贈ることができます。
最初に、副学長ルック先生から、感謝のあいさつがありました。
「FUJI奨学基金に感謝の意を表したい。
カントー大学農学部には、農村出身で、家庭の経済的困難を乗り越えて学生生活を送らねばならない学生が大勢います。
いままで大学は、団体・機関に働きかけ、貧しくてもがんばっていい成績を残している学生に奨学金を出そうとしてきました。そのなかでも、FUJI奨学基金は、カントー大学農学部の学生に効果的な支援をもたらしてきたと考えています。
カントー大学とFUJI奨学基金の絆が深まり、より多くの学生が奨学金をもらえるようになることを希望します。」
FUJI奨学基金ベトナム代表ルーンさんは、学生たちを励ましました。
「FUJI奨学基金は、最初、元日本留学生だった2人から始まり、しだいに日本の友人も加わり、10年間で300人以上の学生に奨学金を贈ることができました。 金銭的には少ない額だけれども、精神的にみなさん方を励ます意味があると思っています。少しでも学費・食費の足しになり、みなさんが勉強を続けることができることを望んでおり、さらに広げられるようにやっています。」
奨学生を代表して、ブさん (獣医学科) からあいさつがありました。
「FUJI奨学基金に御礼のことばを申し上げます。
貴重な奨学金をいただいたので、がんばっていい成績を残し、社会・国のためにがんばりたいと思います。」
【カントー大学生の声】
このあと、校舎を案内してもらい、実験室、メコンデルタの土壌を分析している研究室などを見せていただきました。
その後、大学の食堂に移動し、夕食をいっしょに食べながら、奨学生たちと歓談しました。
食堂の料理は、とってもおいしかったですよ。
カントー大学の奨学生から、学校生活のこと、将来の夢などをきいてみました。
学生《Aさん/男子(農学科)》
「カントー市から60キロ離れたソクチャン省の出身です。
父は運転手、母は行商をしています。
下宿をしていて、朝、勉強し、午前・午後は学校に行っています。
土日は、学費の足しに、石鹸の宣伝員のアルバイトをしています。」
学生《Bさん/女子(畜産学科)》
「いま洪水の被害のなかにあるドンタップ省の出身です。
親は農業をしていて、私を大学に行かせるのはたいへんです。
下宿しています。ひまがあれば、観光施設でアルバイトをしています。
自分の夢は進学することです。」
学生《Cさん/男子(環境学科)》
「家は農業で、3反歩で稲をつくっています。
それだけでは足りないので、人のために働いてかせいでいます。貧しいです。
将来は、勉強していい人になりたいです。いい仕事について、かせいで家庭の支えをしながら、進学したいです。」
学生《Dさん/男子》
「奨学生に選ばれ、感謝しています。
でも、受け取れるメンバーを増やしてほしい。
私たちだけでなく、ほかにも経済的に困っている学友がいます。そういう人にも手を差し伸べてください。」
学生《Eさん/男子》
「カントー省トットノット郡出身で、洪水によく見舞われるところです。
洪水によって、仕送りがなくなることがよくあります。
こういう学生が、私のほかにもいます。」
キム先生が、学生の生活費について補足してくださいました。
「奨学金の額は、年間学費の半分に相当します。下宿代・食費で1ヶ月に40万ドン(約3,000円)かかります。
奨学金の総額に限度があるので、奨学金を多くすれば受け取る人が少なくなり、多くの人が受け取れるようにすれば、奨学金は少なくなってしまいます。
なんとか、奨学金の総額を増やしてほしい。」
【ツー・コア・ギア(TKN )中・高校】2000年当時
ベトナム南部メコンデルタ地帯のアンザン省チャウドック市 (ホーチミン市から約250キロ西南) にある6年生から12年生までが学ぶ中高等学校。
チャウドック市は、メコン川がカンボジアから流れてくる最初の都市で、人口12万人。
TKN校は、男女共学、生徒数5,000人以上いるアンザン省でいちばん大きな学校です。
ちなみに、FUJI奨学金を贈りはじめた1995年は64クラスだったのが、97年は95クラス、2000年には117クラスと5年間でほぼ倍の規模になっています。
また、95年には1つだったキャンパスも、99年新キャンパスが出来、現在(2000年)は3つに増えています。学校では校舎整備の計画を3期にわけて進めていて、第2段階にさしかかったところで2000年の洪水の被害にあい、中断してしまいました。計画は2002年までかかる見通しです。
授業は生徒数が多いため、午前、午後の2部制になっています。
農村部から通ってくる生徒が多く、ある生徒は、午前4時に起床、5時に家を出て学校に着くのが6時半、それから11時まで授業、と語っていました。
ベトナムの教育現場である学校の整備は大変遅れています。
体育の勉強には体育館がなく、音楽の勉強にはピアノどころかギターやマンドリンなど簡易な楽器も皆無で、医療のこととなると保健室もありません。TKN校もその例外ではありません。
【TKN 中・高校奨学金授与式】2000年10月7日(土)
冠水した校庭郊外のサム山から市内に入っていく。
メコン川畔のビクトリア・ホテルに近づくにつれ、洪水の水につい最近まで浸っていた跡が見え始める。
ホテルから、さらにマーケットのある市の中心部に進むと、水がまだ引いていない道路、床上ぎりぎりまで水に浸った家々が目に付く。
TKN校はその中心部から300メートルほどのところにあります。
メコン川流域のラオス、カンボジアも、ことしは40年振りという大洪水に見舞われています。
ここチャウドックも、7月末から洪水がはじまり、11月いっぱいまでつづくだろうということです。家屋の浸水、破壊、農作物への被害は甚大で、農家は深刻な打撃を受けています。
学校も前の道路は冠水していました。
校門から教室まで、土嚢を積んで通れるようにしてある校庭は、まだ水が残ったままです。
50名近い生徒が、土曜の午後で授業がないにもかかわらず、午後2時から奨学金授与式のために待機していてくれました。
《ティン (MR. TINH) 校長先生の話》
「本校は、1ヶ月間水に浸っていたので、皆様を満足におもてなしすることができず、お詫びいたします。今いるこの教室も、一時は40センチほど水に浸っていて3日前にようやく水がひいたところですし、昨日までは、校門まで板の橋をわたって教室に行かねばなりませんでした。
中学生、高校生があわせて学ぶこのTKN校は、昔、科挙試験で首席になった有名な方の名にちなんでつけられました。TKN校は、規模は大きいけれども、インフラは追いついていません。しかし、生徒のモラールは、省でいちばんという評価を得ています。学力も、大都市と比べて遜色ありません。省一番の成績で、表彰もされました。
9月から、ベトナムでは新学期が始まります。
今年は、ある校舎は1メートルも水没してしまいました。
しかし、洪水のなかでも、中学1・2年生を休みにしただけで、あとの学年は通常授業をしています。生徒たちの力で、ほかの誰の力もかりず、洪水の掃除や後片付けをしています。
学校では洪水の被害を調査し、影響の大きかった160人の生徒を援助しました。9月にFUJI奨学基金から、今年も76人の生徒に奨学金を贈るという連絡をいただいたとき、洪水の被害状況を説明し、100人分の援助を約束してもらいました。
FUJI奨学基金からいただいた奨学金は、成績優秀だが家庭の経済状況がきびしい生徒に贈っています。皆さんが訪問してくれることを聞いて、みんな喜んでいます。
FUJI奨学基金のみなさんにお願いがあります。ここにいる生徒たちを、自分の子ども、孫、おい、めいに接する気持ちをもって、考えていていただきたいです。」
【TKN 中・高校生徒の声】
TKN 中・高校の奨学生から、学校生活のこと、将来の夢などをきいてみました。
生徒《Aさん/女子/高3》
「自分は学校に来られて、幸せだと思っています。
私には、学校に行けない友人がいっぱいいます。先生に会え、勉強ができることは、本当にうれしいことです。
人によって困難の程度はちがうけれど、努力して、貧しい今の境遇から脱するようがんばります。
私は、親、先生だけでなく、FUJI奨学基金から援助をもらい、多くの人の助けでこうして勉強していられます。私たちだけでなく、奨学金を受けていない友人たちが、おおぜい奨学金を受けられるようにしてほしいです。」
《Bさん/女子/高3》
「(日本側の制服についての質問に答えて)
ベトナム人として、学校に行け、きれいなアオザイを着れることを誇りに思っています。」
《Cさん/男子/高2》
「国に役立つように、家族・友人・先生の力添えを受けて、自分もがんばっています。
さらに、FUJI奨学基金の皆さんから援助を頂きました。
FUJI奨学基金の設立の経緯と、皆さんの篤い思いを聞きました。
まわりの方からいただいている暖かい援助の気持ちを、わたしもずっと持っていたいと思います。」
放課後のクラブ活動に関する日本側の質問に対し、ティン校長先生が答えました
「日本の教育環境は先進的で条件が整っているが、ベトナムはまだ戦争がおわって25年、きびしい経済状況に置かれ、インフラが足りず、教室も足りないのです。生徒たちは、学校がおわったら家の手伝いをしなくては生活できないのが現状です。とてもクラブ活動をする余裕はありません。」
ハイキング
翌日の日曜日、TKN校の高1から高3の男女生徒、FUJI奨学基金のメンバー約30名で、マイクロバス3台に分乗し、朝8時から午後3時まで、チャウドックから37キロほど離れたカム山へでかけ、一緒に山に登ったり、写真を撮ったり、交流を楽しんで、忘れられない思い出となりました。
(齋藤・記)