Tuc Dup Hill

バーチュックの納骨堂から、南の方向へ25km、細い道を何度か曲がりながらすすんでいきます。

しだいに、 クメール寺院をいくつも見かけるようになってきました。

その先に、トゥック・ズップ (Tuc Dup) の丘へ入る門がありました。
ここはベトナム戦争の激戦地。南ベトナム解放民族戦線はこの岩だらけの丘を天然の要塞として、岩の隙間を利用して戦いつづけました。米軍は1968年11月16日から1969年3月24日まで4か月以上、周囲を封鎖して、大量の砲弾を浴びせ、大量のヘリコプターを動員して空から攻撃したにもかかわらず、南ベトナム解放民族戦線の要塞を陥落させることができず、ついに攻略をあきらめたのです。

FUJI教育基金では2005年、奨学金授与の旅のときに、チャウドック市の中・高の奨学生たちとここへ遠足に来ています。そのときに生徒たちに説明しました。(この旅には、私は参加できませんでした。)

 “ベトナム側の首脳陣が集結する軍事拠点のひとつとして、1968年から69年ごろにはトゥック・ズップはアメリカ軍の攻撃の標的となりました。
 1億ドルの戦費で2ヶ月もあれば攻略できるというアメリカ軍の読みは大いにはずれ、結局2億ドルを費やしてもこの地を落とすことはできなかったのです。
 それほど入り組んだ、また強固な自然要塞だったんですね。”

2005年FUJI奨学金授与の旅」より

激戦の地は、 現在は「観光地」になっていて、遊具があり、庭園があり、丘の途中をめぐる鉄の階段や柵が整備されています。私が訪れたときは数人の観光客がいるだけで、岩の隙間に入っていく人はいませんでした。

きょうは朝から昼ごろまで雨が降っていたこともあり、岩はとても滑りやすくなっていました。 事前の情報もなく、案内してくれる人もいませんでしたが、入口らしい階段を一人でおりていきました。所々に電球があり、鉄の階段がついています。

しばらくすすむと、岩のなかに広間がありました。人形が置かれ、作戦本部を再現しています。

ここから先は穴が小さくなり、身をかがめたりしながら登っていきます。岩を伝って歩いたり、岩を登ったり、岩と岩の間に渡された橋を渡ったりしてすすみます。
当時は、矢印なんてなく、橋もなかったのでしょう。身軽に、飛び跳ねながら移動して、米軍を攻撃したのでしょう。でも、どうやって食糧・弾薬などの補給をしたのだろう。
今も、中には電球もなくなり、岩の隙間からかすかにさす日の光だけで、暗くて足場が見えません。雨上がりで、ときどきしずくが垂れ、ホールドしたい岩も磨いてあるかのようにツルツル滑り、どうつかんだらいいか、わかりません。

白い矢印の指し示すままに、暗い内部の岩をよじ登ったり、尻を岩につけてずり落ちたり、濡れて崩れるのではないかと思う頼りない梯子を上り下りして、100メートル近く登ったところで、矢印に従っても同じところに戻ってきたりして道が分からなくなりました。

これ以上の年寄りの単独「探検」は、あまりに危険だと思い、撤退しました。
要塞ということだけは知っていましたが、想像の範囲を超えていました。

ベトナムの紹介(写真)