メコン川(ハウザン)

FUJI教育基金では、チャウドック市の中学校、高等学校に奨学金を贈っています。そして、会員および関心のある人たちが、2000年から毎年10月初旬ごろ、奨学金授与校を訪問しています。(その様子は、「奨学金授与の旅」をご覧ください)
人口16万人(2018年)のチャウドック市は、メコン川の支流バサック川(Hậu Giang {ハウザン:後江} と呼ばれる)がカンボジアからベトナムへ流れてくる国境に位置しており、キン族と、少数民族のチャム族・クメール族が住んでいます。
ここではチャウドック市および近郊を紹介いたします。

メコン川

チャウドック市といえば、なんといっても、茶色いメコン川(支流のハウザン)の大きな流れに沿って出来た国境の街ということが印象的です。
下の写真は、いずれもカンボジアから流れてくるメコン川の支流で、左側からチャウドック川、中央前方からハウザンが、見た目はゆったりとですが、実際は根こそぎ押し流すような力強さで流れてきて、右手へと去っていきます。このブイは、2本の支流がひとつになって下流へ流れていく結節点を示しています。

ハウザンは、横断するフェリーが何隻も行き交い、また上ったり、下ったりしている、大きな船や小舟、漁船や貨物船、土砂などの運搬船が、多種多様な表情でひっきりなしに通行しています。

ベトナムに入ったメコン川の雄大な流れと川で生活する人々をご覧ください。

サム山

チャウドック市中心部から西へ約7km離れたところに、このあたりでは一番高い独立峰・サム山(標高284 m)があります。山頂からは、メコンデルタが一望できます。
北のほうには、水面がどこまでもつづいています。そこは、カンボジアです。1975年のベトナム戦争終結後、カンボジアのポル・ポト政権はベトナムへの侵攻を企て、1977年4月30日、ベトナムのアンザン省北部への軍事攻撃をはじめました。チャウドック市内もポル・ポト軍の砲撃にさらされ、市内高校の校庭には、2000年でも、その痕が残っていました。

サム山の山頂 から北を見る。向こうの水面は、カンボジア。左右に伸びる木々が国境線。

少なくとも2000年頃まで、サム山の山頂に、軍隊が駐屯していました。逆に、祠の記憶がなかったのですが、2017年に久しぶりに訪れたら、立派に神様が祀られていました。(Bà Chúa Xứ Temple)

サム山の山頂
サム山の山頂

ふもとから中腹まで、サム山を取り囲むように、昔から信仰されてきた歴史ある大きな寺がいくつかあります。
チャウドック市の中心部からまっすぐ伸びる広い道路がサム山に行きあたるところに、Bà Chúa Xứ Templeがあります。山頂にも祀られているお寺です。ここは、FUJI奨学金(発足時の名称)が誕生するきっかけとなった、思い出多いお寺です。

Bà Chúa Xứ Temple
Bà Chúa Xứ Temple 。お供えの子豚丸焼き。3回訪問したが、いつ来てもあった。

Bà Chúa Xứ Temple(バーチュアスー廟)では毎年旧暦の4月末、南部最大規模の仏教関連の祭りが行われます。
このバーチュアスー廟祭りをユネスコ世界文化遺産に登録する動きがあるそうです (「ムオン族の儀式とバーチュアスー廟祭り、ユネスコ無形文化遺産登録を目指す」ベトナム総合情報サイトVIETJO [ベトジョー] 2020/06/12 02:38 JST配信)

Sam山をはさんでBà Chúa Xứ Templeのちょうど反対側、カンボジア領を正面に見渡すところに「福田寺 (Chua Phuoc Dien)」があります。近年、地元で人気が出てきたお寺のようです。洞窟を抜けて本堂へと急な傾斜を登っていく仕掛け、その洞窟の途中には観音様や地獄の番人、大蛇やトラなどがそこかしこにいる驚き、カンボジア国境を越えて広がる広大なメコンデルタの景観等が、人気の素かもしれません。

チャム族

ベトナム中部にいたチャム人が紀元192年に「林邑」国を樹立しました。 林邑国は、中国とインドのあいだでインド洋交易圏の海上交通の要衝として、港市国家として発展しました。3世紀にはインド化がすすみ、ヒンドゥー文明を受容し、みずからを「チャンパ王国」と称しました。中国の影響もなお強く、9世紀ごろの中国の史料には、「占城」として出てきます。
1009年、ベトナム北部にベト族が李朝大越国を建てたころ、チャンパはそれまでのダナン周辺にあった都を、約200km南のクアンガイ省・ビンディン省付近にに遷都(西暦1000年)しました。その後チャンパは、大越および西のクメール(カンボジア)としばしば戦争を行いました。アンコールワットのバイヨン遺跡には、クメール兵とチャンパ兵がカンボジアのトレンサップ湖で戦っているレリーフが残っています。

カンボジア・バイヨン遺跡のレリーフに描かれたトレンサップ湖の戦い

13世紀頃、西アジア商人によってイスラム教が浸透し、現在もイスラム教ではありますが、ヒンドゥー教の神シバの象徴であるリンガを祀っています。
元の遠征軍を撃退したものの、1471年、南下してきた大越国に首都を占領され、チャンパは滅亡したのです。
古い統計(1999年)になりますが、9,000万人強のベトナム人口のうち87%をキン族が占め、のこりが53の少数民族です。チャム族は、ベトナム中部ビンディン省・フンイエン省に約1万人、中部ニントゥアン省・ビントゥアン省に約10万人、南部タイニン省・アンザン省・ホーチミン市に約2万人が住んでいます。
チャウドック市とハウザンおよびチャウドック川を挟んだ対岸にチャム族の集落があり、そこへはフェリーで渡ります。
ここは、ハウザンの西側です。チャウドック市のビクトリア・ホテルの脇から船が出てハウザンをさかのぼり、筏(いかだ)の上に建てられた家を訪問して魚の養殖を見学し、さらに舟着き場から細い板を伝わってチャム族のお宅を訪問して機織りを見学して道路に出、イスラム寺院を見学して出発地点に戻ります。

こんどは、ハウザンの東側地域にフェリーで渡り、着いた舟着き場から 2.5km離れた仏教寺院のVĩnh Quang寺までバイクタクシーに乗り、そこからひとりでのんびり歩きまわって、もとの舟着き場まで戻ってきました。イスラム寺院があり、 高床式住居があり、 建物の色彩が異国にきたようです。

舟着き場まで歩いて戻ってきたときに見た、人びとの様子です。

クメール族

ベトナムには、 少数民族のなかではいちばん多い、約130万人のクメール族がいます。チャービン省、ソクチャン省、アンザン省など、南部メコンデルタに集中的に居住しています。
チャウドック市の西側のクメール族集落を訪ねました。

チャウドック市場と、チャウドック市内中心部

チャウドック市場は、市の中心にあります。市場の北側はハウザンに面して、メコン川で獲れた魚介類を水揚げし、南側には広場があります。2000年、FUJI奨学金の授与式に出席するためチャウドック市を訪問したとき、この広場は池になっていました。当時の記録は、「2000年FUJI奨学金授与の旅」にあります。ベトナム各地の都市のマーケットは建て替えがすすみ、コンクリの建物になったところが多いのですが、ここはまだ、2000年当時の姿を残しています。

チュドックの市街地は狭いエリアで、歩いてみました。 1996年、2000年ごろはハウザンに面したVictoria Hotel に泊まりましたが、いまでは宿泊料が高く、縁遠くなってしまいました。

メコンデルタの田園風景

チャウドック市街地から離れ、カンボジアとの国境に沿った運河のあたり、あるいはサム山の西側まで足を伸ばすと、独特の風景が広がっています。

私は Ms SAN Tours のSANさんに、彼女のバイクの後ろに乗って案内してもらい、車では入れない田園地帯をゆっくりまわることができました。

サム山から、カンボジアとの国境にある運河沿いに、チャウドック市へ戻ってもらいました。運河沿いの住宅は、1996年のときはテレビがなく、2000年に来たら、ほとんどの家がアンテナを高く伸ばし、窓越しに覗くとテレビを見ていた記憶があります。2017年では、パラボラアンテナを設置しているので、衛星放送を見ているのかもしれません。
この運河(Kênh Vĩnh Tế)は、メコン川の支流(ハウザン川)チャウドック市から カンボジアとの国境に沿って掘削された 全長87kmの運河で、ザンタイン川(sông Giang Thành)に流れ込み、キエンザン省ハティエン市まで到達します。1819年、グエン王朝が輸送用に開発するよう命じ、9万人が動員されて、5年で完成しました (“230 tỷ đồng nạo vét kênh Vĩnh Tế” VnExpress, Thứ tư, 19/2/2020, 06:22 (GMT+7) )

ベトナムの紹介(写真)