チャム塔

フーハイ川河口にあるバーナー山の上に、チャム遺跡ポー・シャー・ヌー塔群が見えます。
これは8世紀末から9世紀初めにかけて建てられたチャンパ王国最南端の寺院群で、現在残っているのは3つの塔です。
ファンティエット市が属するビントゥアン省には、ニントゥアン省にかけて PÔ Patao At 塔など、他にもチャム塔が残っています。
また、丘の上には、フランスの公爵が建てた別荘が廃墟になっていました。1世紀前に建てられ、当時は最も近代的な西洋建築と評価されました。

チャム遺跡 ポー・シャー・ヌー塔群 (Tháp Chăm Po Sah Inư)

ポー・シャー・ヌー塔群 (庯諧古塔;Po Sah Inu Cham Towers)

ファンティエット市街地からムイネーに向かい、フーハイ川(Phu Hai River)河口の橋を越えて、右手に見える小高いバーナー山 (Ba Nai Hill) の上に、チャム遺跡ポー・シャー・ヌー塔群 (庯諧古塔;Po Sah Inu Cham Towers) があります。「フーハイ塔」とも呼ばれます。
訪れた10月8日は、もうすぐチャム族の祭り「KATE祭り」が行われるのでしょう、お祝いのアーチが入口に飾ってありました。

現存する3つのチャム塔

8世紀末から9世紀初めにかけて建てられたここはチャンパ王国の最南端の寺院群で、現在3つの塔が残っています。

主祠堂A(Main Tower)

幅20m、高さ15mの主祠堂A(Main Tower)は、ヒンズー教の主神シヴァを表す黒い石で作られたリンガ-ヨニのセットを崇拝しています。

C塔:宝物塔(Fire tower)

A塔の隣には火の神を崇拝する高さ5mのC塔(Fire tower)があります。

牡牛ナンディン神を祀るB塔

約50メートル離れたところにあるB塔は、A塔よりも一回り小さい塔で、シヴァの乗り物とされる牡牛ナンディン神を祀っています

このほかにも多数の寺院が建てられましたが、残っていません。1994年から2000年にかけて遺跡の修復中に、崩壊した寺院の基礎や多くの礼拝台座、古代寺院の供物が発掘されました。

チャムの王女ポー・シャー・ヌー

ところで「ポー・シャー・ヌー」という名称は、美しくて優しいチャム王女の名前に由来しています。

ヒンドゥー教を信仰し、シヴァ神を祀っていたチャム人の、本格的なイスラーム化は15世紀初めのことです。

 このころ、ヴィジャヤ(注)にポーシワン (Po Siwan) が現れてイスラームを伝えていきました。
 チャムの王女ポー・シャー・ヌーは、イスラム教徒のポー・サハニエンパー(Po Sahaniempar)と恋におちます。ふたりは宗教上の障害を乗り越え、祝福のなかで一緒になります。
 しかし、異教徒を憎んでいた王女の弟ポダム王子は、二人の仲を裂くことを計画し、ポー・サハニエンパーの心は別の女性に向けられてしまい、彼の愛は王女のものではなくなってしまったのです。

 その後の彼女は父親のアドバイスを聞き、恋人を捨てて宗教に戻り、静かに暮らしました。そして、湿った米の栽培方法、陶器の作り方、錦織の織り方、家畜の飼育方法、魚介類の捕獲方法、振る舞いかたなどを人々に教えました。
 愛らしい王女ポー・シャー・ヌーの晩年は、このように穏やかに過ぎました。

注:ポー・シャー・ヌーの物語は、いくつかのバージョンがあるようです。ここでは大要を記しただけです。
「ヴィジャヤ」については、ビンディン省のチャム塔 (Tháp Chăm) を参照。

ポー・シャー・ヌー王女が亡くなると人々によって聖化され、その美徳と才能を記念する寺院が建てられました。毎年、KATE祭りの季節(チャムの陰暦7月初め)には、慈悲に満ちた美しい王女の功績を記念して、ポー・シャー・ヌー寺院エリアで歌と踊りを祝うお祭りが開催(「チャム族のカテ祭りが始まる」 (VOVworld | 2020年10月16日 | 17:27:37))されます。

王子の城 (Prince’s Castle)

ポー・シャー・ヌー塔群の奥に、廃墟のような建物が見えたので、小道を歩いて行ってみました。
あたりには誰もおらず、雑草が生い茂った丘(Ba Nai Hill)の上に、廃墟状の建造物がありました。
雑草のあいだから、海が見えます。
説明が書いてある掲示は、穴が開き、ボロボロで読めません。
これは、ハイヴァン峠越えの途中にあるフランス軍要塞跡にも似ているから、フランス軍が造ったものかと想像しました。あとで調べたら、100年前にさかのぼる歴史がありました。

フランスの De Montpensier 公爵が、1世紀前に別荘を建てる

いまから1世紀前、フランスの De Montpensier 公爵は、ベトナムへ旅行にやって来ました。そして1911年、狩猟旅行で、この Ba Nai Hill に着きました。当時、このあたりは荒れ果てたところでしたが、しばし立ち止まって美しい風景を眺めた公爵は、ここにゆったり過ごすことができる別荘を建てようと決めたのです。そして、幅536mの土地を購入し、建てられた別荘は、当時の最も近代的な西洋建築と評価されるほど素晴らしいものでした。
のちに、バオ・ダイ皇帝がみずからの生活の場として購入しました。

詩人ハン・マック・トゥも、王子の城の美しさに感動した

「王子の城」は、詩人ハン・マック・トゥ(Han Mac Tu;1912-40)の目にも、詩的で神秘的な美しさをもって映りました。
「王子の城」は、海面から輝く日の出と日没時に遠くの山々の後ろに沈む日の入りがともに見えます。さらに興味深いのは、月明かりに照らされた夜です。月明かりはすべてを空想的で魔法のようにします。月明かりの夜に王子の城に足を踏み入れなかったら、ファンティエットに来たとは言えません。

反仏戦争と王子の城

1946年にフランス植民地主義者は、ファンティエットからムイネーへの道路を防衛するために、「王子の城」の近くに軍事拠点をつくりました。
1947年6月14日、フランスの将校と兵士を装ったHoang Hoa Tham Companyに所属する一分隊は、急襲して「王子の城」のすべての軍事基地を一掃し、35人のフランス軍兵士を殺害し、ヴィッカース重機関銃を含むすべての武器を押収しました。
反フランス戦争で、別荘(王子の城)は完全に破壊されました。

「王子の城」については、

などを参考にしました。