ゲティン・ソビエトの絵

ヴィン市には、かつて、お城がありました。

中国・三国時代には呉に属していたヴィン市には、かつて城をはじめ、歴史的な建造物が多くあったそうです。しかし、度重なる戦火、フランスによる植民地支配との戦い、さらにはアメリカによる激しい北爆で市街地は破壊されました。
かつてあった城は五角形の亀形で、周囲を堀が囲み、3つの城門で閉じられていました。 城址すらなく、この城門と、一部の堀だけが、昔の街の面影をかすかにしのばせてくれます。
ゲアン省は暑さが厳しく貧しい土地だったからか、忍耐強い人がおおく、懸命に這い上がろうとする意志をもった人がおおいようで、王朝時代から、科挙試験に多くの合格者を出しています。

ヴィン市と日本との関係

2019 年 4 月 26 日(金)に、ゲアン省ヴィン市でセミナー「日本に出逢う~ゲアン省:協力と発展」が開催されました。ここで行われた在ベトナム日本国大使館・梅田大使の「閉会挨拶」に、日本とヴィン市との関係が簡潔に述べられています。

ヴィン市の日本語学校

2019年8月、ヴィン市にある日本語学校の「日本文化週間」に参加しました。(これは、個人的な訪問で、FUJI教育基金の活動ではありません。)

日本語学校と、「日本文化週間」会場のホテル

生徒たちは、学校の近くのホテルで、習字、日本のルーを使った鶏肉カレー作り、けん玉、浴衣、茶道、日本のダンスなどを2日間にわたって体験しました。学校の教室でも、日本文化の紹介をしました。今月、来月にも技能実習生として来日する予定の生徒も、まだ日本語を習い始めたばかりの生徒もいます。

そして、3日目の日曜日、学校から3kmちょっと離れたクエト山(Núi Quyết)へ遠足というかレクレーション。山頂の広場で、4グループに分かれて、ゲームとお寿司作りの対抗戦をしました。

ゲームは、複雑なものでした。第一段階は、ジグソーパズル。グループごとに、大きな破片を組み合わせます。地面にしゃがみこんで、あーでもない、こーでもないと、みんな真剣に、にぎやかです。

ラッパを吹いたり、にぎやかです。

パズルが完成すると、ジグソーパズルを裏返し、そこに日本語で書いてある「課題」に向かいます。広場のあちこちに隠されているモノを見つけるようです。突然、トレインができ、駆け足で広場の隠されていそうな場所を探索します。

グループごとに「宝さがし」

クエト山は、標高97mの山頂には大砲が設置され、ヴィン市をみはらすことができます。山頂の広場は木陰があり、吹く風がさわやかです。クエト山の山頂のもうひとつのピークには、クアン・チュン(Quang Trung)王を祀った神社があります。

ゲームが終わると、グループごとに料理。生徒・先生のなかには、語学留学や技能実習生として日本で生活した経験のある人もいて、海苔巻きは手慣れたものでした。

寿司つくりの準備

海苔巻きの材料は、刺身は使わず、ソーセージやキュウリ、香草などの野菜です。黄色いお米もありました。海苔は、普通に売っているようです。これらの材料は、朝、生徒がそれぞれ自宅で仕込んだり買ってきたものですが、バーコードタグが付いている野菜もあって、これはスーパーで買ってきたのでしょう。

包装のビニール袋を使って、器用に海苔を巻いていきます。

完成した海苔巻き。グループそれぞれ、美味しそうに飾りつけられています。

各グループの作品。

海苔巻きだけでなく、ベトナム料理も事前に準備したようです。それらの飾りつけが繊細です。

たくさんの美味しそうな料理ができました。

このあと、海苔巻きとしての完成度、美味しさ、飾りつけで採点され、優勝が決まりました。甲乙つけがたい出来栄えでした。

ファン・ボイ・チャウ (Phan Bội Châu) の生家

ファン・ボイ・チャウの生家は、ヴィン市から西に25km離れた田園地帯にありました。訪れたとき、門は閉じられていましたが、近所の人が知らせてくれたらしく、案内の女性があらわれ、博物館の入口を開けて、説明してくれました。

ファン・ボイ・チャウ 1867年にゲアン省で生まれ、10代から反仏独立運動に参加し、グエン朝の皇族クォン・デと「維新会」を結成し、運動への支援を求めて1905年に来日。そのなかで人材育成の必要性を認識し、ベトナム青年を日本に留学させる東遊運動(ドンズー運動)を興す。1925年に上海でフランス官憲に逮捕され終身刑を宣告され、ハノイのホアルー刑務所に収容されるが、ベトナム世論の反発が強く、恩赦となり、フエで1940年没す。

ファン・ボイ・チャウ の生家

彼の母親が使っていた織機、糸車も保存されています。

2015年に整備した博物館も併設されています。ゲアン省は、多くの民族主義者、革命家を輩出した地です。

近くにカ川が流れ、周辺はのんびりした農村風景です。

ホー・チ・ミンの生家

ファン・ボイ・チャウの生家から東へ8kmヴィン市方向へ戻ったキムリエン村(Làng Kim Liên)に、故ホー・チ・ミン国家主席(1890-1969年)が1901-06年のあいだ住んでいた父親の家があります。
ファン・ボイ・チャウの生家とはうってかわり、ここは革命指導者が生まれた「聖地」であるからか、観光地のようになっていて、広い駐車場があり、そのまわりにはお土産店が軒を並べていました。
最初にお父さんの家に向かいます。一帯の集落が当時のまま保存されているようでした。蓮池は、花の季節が過ぎていて、残念でした。

ホー・チ・ミンのお父さんグエン・シン・サックは、 貧しい学者でした。1901年に官吏試験に合格したのですが、このような高位の位に就くのは村で初めてでした。村人は喜び、父親に、庭や家を提供したのです。1906年にフエに任官となって移るまで、 十代のホー・チ・ミン もここに住み、ファン・ボイ・チャウや他の愛国者、儒学者たちと交流しました。

そのあと、木陰で涼しい緑のなかを歩いて、記念館へ。記念館の前庭では、夜のイベントの仕込中でした。

この周囲も、刈り取り間近の水田が広がる、のどかな景色でした。(このあたりは、二期作です。)

ゲティン・ソビエト博物館Bảo Tàng Xô Viết Nghệ Tĩnh

1930年に、ゲアン省、ハティン省の農民・労働者・知識階級が蜂起しました。ベトナム共産党は、この闘いを30年に結成されたベトナム共産党の指導による、フランス植民地政府および地主たちに対する初めての蜂起闘争としています。9月には旧来の統治機構はマヒししました。蜂起側により新たなソビエト式統治機構が整備され、官吏や地主の処罰、農地分配、地主階級の所有する米の再配分、識字教育などが行われましたが、フランス植民地政府とフエ政府の攻撃によって、翌31年には崩壊してしまいました。
この蜂起運動はゲティン・ソビエト(Xô Viết Nghệ Tĩnh)あるいはゲティン蜂起と呼ばれています。「ゲティン」とは、ゲアン省、ハティン省のこと、「ソビエト」とは農民コミューンのことです。
ヴィン市中心街にある「ゲティン・ソビエト博物館」は、この蜂起に関することを中心に展示している博物館です。

ゲティン・ソビエト博物館

入館すると正面に大きな絵が掲げられていました。説明には「Đền thờ Vua Mai Hắc Đế」(マイ・ハック・デ王を祀った神社)とあります。描かれている2人の男性は、ゲティン蜂起の指導者なのでしょうか。

最初の部屋は、ゲティン蜂起の前史についての部屋でした。ここには、ファン・ボイ・チャウに関する史料も展示されていました。

ファン・ボイ・チャウ

つづいて、1930-31年のゲティン・ソビエトに関する展示です。

ゲティン蜂起の漆絵。卵の殻や貝殻もつかっています。

女性も多く参加していたようだ。

捕らえられた人たち

ゲティン・ソビエト博物館の方がずっと付き添って説明してくれていました。彼女は、博物館が刑務所の跡に建てられていることを教えてくれました。しかも刑務所は、ヴィン城の城内に建てられたのです。

博物館の境内には、ヴィン刑務所があったことを忘れない碑が建っていました。

「愛国者に対する封建的植民地システムの犯罪的証拠は、共産主義者のための革命的な学校でもあったが、
1804年に建てられ1945年まで運用された。」

Special Thanks for Mr. Le Dang Anh

ここで紹介した場所の地図です。

なお、ヴィン市で食べた料理は、「ゲアン省ヴィン市の名物料理」をご覧ください。

ベトナムの紹介(写真)

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