新渡戸稲造『武士道』をベトナムの学生に寄贈
FUJI教育基金では、昨2011年の奨学金授与のさい、新渡戸稲造『武士道』のベトナム語版を、奨学生全員および各学校図書室などに贈呈しました。3.11で大きな被害を受けた日本人が、冷静に助け合いながら行動したことに世界中から賞賛の声があがりましたが、その日本人の心を、本書は見事に描いており、日本を知るひとつとして、寄贈しました。
翻訳者は、1970年ごろ、東北大学に留学したベトナム人のLe ngoc Thao さんです。Le ngoc Thao さんは、本書の印税を、東日本大震災の被害者支援に寄付されています。
『武士道』前書き
Le ngoc Thao さんの許可を得て、Tran Van Thoさんのベトナム語版『武士道』前書(翻訳はLe ngoc Thao さん)を掲載します。
前書
Tran Van Tho
東京、早稲田大学 経済学教授ある程度、日本に住んで生活したことがあるならば、誰でも生活上の付き合い、儀礼、物事の考え方等について日本人は独特なものがあると認めるであろう。多くの外国人は日本人の礼儀作法、個人の責任の取り方、倫理観等はとても分かり辛く、面倒くさいと感じる。
しかし、よく考えてみればその独特な行動の深さは東洋の規範である仁、義、礼、勇、信における最高のレベルにあることが分かるであろう。今、若い世代において生活様式及び考え方は多様化しており、国際基準とほとんど違わなくなって来ている。しかし親や教育者達は以前と同じように若い世代にほんの少しでも日本の封建時代の武士らの道として培った高貴で変えがたい伝統的な徳目を受け継いでほしいと願って止まない。日本の歴史を見て、特に近代史において、私は常に仁、義、礼、知、信、勇によって成された道の典型的な出来事を見出すことが出来、感激、感服、感動を覚える。日本の戦国時代において一人の武将、信長(1534-1582)の高尚な武勇伝をあげたい。
桶狭間の戦いで信長の軍勢は強く、圧倒的な今川義元(1519-1560)の軍勢を倒した時のこと、信長の家来は今川の本営に乱入し、今川を殺害した。生前の敵の才能に対し感服の念からであろう信長は敵の首級の前に敬礼をし、その遺体を丁寧に納棺させ、故郷に埋葬するよう、家来に命じたという話がある。杉原千畝(1900-1986)の思いやりも感動させられる話である。第2次世界大戦の時、杉原のお陰で、6000人のユダヤ人はナチスの残虐な政策から死を脱出できた。
杉原はその時、リトアニア(ソ連領)の日本領事館の職員であるにも拘らず日本の外交政策に反してユダヤ人たちに日本行きのビザを発行した。当時はその行為がとても危険で自分自身だけでなく、家族にも被害を及ぶ可能性がある。
なぜならば、ナチスの公安要員は占領地域の各国の外交機関に秘密裏に潜伏してあったからである。
しかし自分に望みをかけて、命を救ってほしい大勢の人たちの前で、杉原の思いやりは自分自身に対する危険及び遵守すべき法律に勝った。考えて見れば、道徳は法律より優先であるべきではないか。杉原は敬服すべきそのことを実現した。欧米諸国に追い付き、追い越せのスローガンの基で国の建設を励む過程において日本の多くの伝統的な道徳規範、特にその中の責任感は国を愛する心と民族の誇りの形として表れて来る。その事例は多くあり、ここにすべてを述べることは出来ない。
企業活動は一般的にその主目的は利益追求のみの領域と思われがちであるが、そういう領域においても今は世界に名のある企業の創始者たちには民族に対する責任感をはっきりと見出すことが出来る。
一例として、井深大(1908-1997)は1946年にソニー前身企業(東京通信工業)を創設した時のスピーチの中で、次のような意味の、とても感動したことばをのべた。「技術面、生産面の活発な活動により国の再建、文化の向上に貢献出来るようがんばりましょう。それは我々の国に対する責務である」。
戦争で破壊され尽くされた日本を再建する過程において、その責任感あふれた言葉は大勢の人々を奮い立たせたことであっただろう。
白洲次郎(1902-1985)はその能力と気概により優れた外交官と褒め称えられたひとである。官僚としての愛国心と自尊心に溢れた逸話がある。
日本はアメリカに占領された期間(1945-1951)、白洲は天皇のお土産をMacArthur元帥、占領軍の最高司令官に届けるように命じられたときである。MacArthurは傲慢な態度で天皇のお土産を見向きもしなかった。
白洲は怒りを表し、言葉で反応した「我々は敗戦国であっても貴方方の奴隷国ではない」。
何も恐れず、例え職場から追われ、不利益になろうが白洲の堂々たる態度を見て、MacArthurは横柄な態度をとったことを謝った。それ以来、MacArthurは日本に対し敬意を持って接するようになった。そのような話は数え切れない程ある。歴史の中で如何なる状況に置いても日本の道徳規範を詳細かつ強力に体現する人間がいる。その源はどこにあるのだろうか。
答えは恐らく「武士道、日本の魂」に見出すことができるであろう。本の著者、新渡戸稲造その人も武士道の粋をよく理解し、体現した人である。
本は1899年に書かれて1900年(明治33年)に出版された。近代化が始まってもはや30年が立ち、日本はいくつかの分野で欧米に追い付いた。その過程の中で多くのもの、たとえば科学、法律、政権の組織、工業技術等の知識を欧米から導入した。
しかし日本は常に自主的で特に文化の面ではその独自性を堅持した。彼が本を書く直接な動機はあるベルギーの学者の日本の宗教教育に関する質問であった。
そしてこの本の目的は、欧米人に対し日本では宗教教育がないにも関わらず封建時代で培った武士の倫理観いわゆる武士道について説明し、理解させるためである。
しかし、書かれた内容から、彼は国を愛する一人の知識人として、日本はどこにも負けない独特な文化、精神の価値、誇りに値する思想としての武士道を欧米人に知らしめるためのものであることが分かる。「武士道、日本の魂」は正に日本の文化についての経典である。この本をベトナム語に翻訳されたことは真に喜ばしいことである。
さらに本は日本に40年以上も居住していて日本の文化によく馴染んでいる人によってなされた。
訳者、Le ngoc Thaoさんはその他の翻訳した文化、文学の訳本にも見られるように、常に、内容を出来るだけ正確にするとともに注釈にも工夫を凝らし、日本文化に馴染みのない読者にも出来るだけ理解しやすいように配慮している。
意義のある仕事を完成したLe ngoc Thao さんに拍手を送りたい。
東京 2007年秋
『武士道』訳者の言葉
『武士道』のベトナム語版翻訳者は、1970年ごろ、東北大学に留学したベトナム人のLe ngoc Thao さんです。Le ngoc Thao さんは、本書の印税を、東日本大震災の被害者支援に寄付されています。
以下、Le ngoc Thao さんの許可を得て、ベトナム語版に書かれた「訳者の言葉」を、Thao さんご自身に日本語に翻訳していただき、掲載します。
訳者の言葉
(2011年出版に際して)2011年3月11日に、千年に一度と言われる大きな地震が、日本の東北地方の太平洋沖に起きた。
家財は押し潰され、家屋が倒壊した。
石油コンビナートは爆発し、燃え盛った。
多くの人々が倒壊した家屋の下敷きになり死に、一部は運がよく生き残れた。
しかしその境遇を振り返る暇もなく、短時間の内に途轍もない大きな津波が、太平洋沖から次に次に襲ってきた。
その高さは20メートルを超えた所もあった。
駐車場に留めてあった車は子供の玩具のように潮の濁流に流され、地震で倒壊しなかった家屋も潮に捻じれ流された。
高台への避難に時間的に間に合わない人々は、濁流の流れとともに海に飲み込まれて行った。
運よく難を逃れた人々は着の身着のままで、高台の避難所に逃げてきた。
悲劇は全国のテレビを通して人々に知らせていた。何年か前に大きな地震が、インドネシアとタヒチで起きていた。
テレビの画面は、悲劇とともに現場の混乱時に食べ物の略奪の光景があり、一種の無法地帯と化していた。今回の甚大な災害に見舞われた日本において何が起こるだろうと、世界の人々は目を凝らしていたであろう。
しかし誰が予測出来ただろうか、悪夢により肉親を一瞬の内になくしてしまった悲しみで涙があったことは事実だが、混乱などまったくなく、飢えによる略奪もなかった。
次の日にテレビの画面には、多くの避難民がほんの僅かに残っていた食品の店に長い行列を作り、自分の番を待っていた光景が映されていた。
時に、自分の番に来たと思うと、もう品物はなくなってしまった人もいた。
運が悪く首を横に振り、それを受け入れるしかなかった。
政府やボランティアの人々は素早く支援活動を開始したが、避難民は多すぎて、とても対応し切れそうになかった。
食べ物の購入の出来なかった人々におにぎり、時に二人に一個しか配れなかったこともあった。
配給を貰った人々は感謝のことばがあったが、不平不満のことばはなかった。
食べ物が欠乏の状況において、子供またはお年寄りに、自分の食べれる分を譲るひとはいた。
日本人のこういった行為は、世界の人々に驚かせた。
何が日本人にこういう品格を作らせたのだろうか。このような日本人の行動に関する答えは容易なものではない。
しかし日本に住んだ機会があれば、恐らく日本人の以上の行動は必然的なもので、理解できる事象である、と気づくであろう。
天災が起きても冷静に対応できるのは、日本の伝統に由来する行為である。
紛れもなくこれは勇気、武士道の一つの徳目、昔の侍たちの身に付けなければならない徳目である。
勇気は高く評価され、何があって(戦いの場において、天災のときにおいて)も冷静に(勇気の静の状態)対応できる能力と解釈されていた。現代の日本には学校教育において(幼稚園から高等学校まで)、武士道もしくは神道という科目がない。
どうやって日本人は祖先の伝統を受け継ぐことが出来るだろうか。
日本に根付いた道徳意識、主に昔の侍たちの行為を制するものは、学校及び家庭において実際の行動によって子供に学習させる。
例えば子供に礼儀正しい行動とはどういうものなのかを教え、実践を勧める(物を貰う時、助けて貰うときに感謝のことばをのべなければならない。他人に迷惑をかけるときには謝らなければならない。人の立場に立ちその気持ちを理解する努力等々)。
その他、例えば誠の心(拾い物を必ず学校または警察署に届ける云々)、名誉を重んじる心(自分の品格を下げるような行為はしない、例えば行列に割り込み云々)は、常に注意喚起される。
子供の回り(学校または家庭)の人々は、個々の子供に常に目を配り、正しい行為を勧める。訳者は、昔の日本人(侍は代表)の処世術とその道徳意識を概略的に知っていただき、現代の日本人の行動を多少なりとも理解の手助けになることを切望し、新渡戸稲造の“武士道、日本の魂”を読者に紹介した次第である。
最後にこの本を出版してくださった出版社に感謝を述べたい。千葉、 2011年3月23日
訳者:Le ngoc Thao
『武士道』訳者の前書
Le ngoc Thaoさんは2011年に『武士道』のベトナム語版を出版するまえに、2007年からWeb上にベトナム語訳を掲載していました。以下は、Web版での「訳者の前書」です:
訳者の前書
昔、我がベトナムにも社会の構成員として士農工商を分けた時期があった。
しかしその区別はそれほど厳しくなく、階級を形成するまではなかった。日本は中国の文化の影響を受けて、我々と同じように、士農工商の社会構造があった。
その上に華族(公家)という階級があった。
日本に於ける士農工商は階級であり、16世紀から明治維新まで、世襲制度によって、それぞれの階級の構成員は身分の移動(変更)はできなかった(農民の子は農民で、商人も同じ、例え学識、知識があっても士にはなれない)。ベトナムでは“士”は学識、知識のある人間を指し、文士もあり武士もある。
しかし日本では、“士”という言葉は武士と同義で、日本国民の智識階級を代表するものである。
武士道はこの“士”の階級の培った道徳規範である。古今を通じて、日本は常に世界文化の精粋を取り入れ、そしてそれを自分達に適した独自の文化に変えていく。
それは日本の伝統である。
そのため武士道の道徳規範は、われわれの目からみて、特に新しいものはない。
しかしその運用の仕方によって、これらの道徳規範は日本にしかなく独特なものになった。“武士道、日本の魂”は、1899年にフィラデルフィアで出版された(”The Leeds and Biddle Company, Philadelphia)。
新渡戸稲造博士は、欧米人に日本の道徳規範を紹介する目的で、この本を書いた。
そのために欧米の哲学、文学等の宝庫からの引用例を多用し、日本の文化を欧米の文化と比較した。原作は日本の独特の文化を格調高い英語で表現し、ラテン語を引用するところもあるので、とても分かり辛い。
そのため訳者はWebに載せてある原作のほかに、優れた日本語訳と言われた柳井原忠雄の翻訳本も参考にした(1938年出版本)。
フレーズの中の( )内にあって最後にNDのイタリック文字のある部分は訳者の注釈である。より詳しく説明する必要のあるものはページの下部の注釈とした。
最後に翻訳の内容をより正確、ベトナムの読者がより分かりやすくするために添削をして下さった“日本文学翻訳グループ”の皆さまに深く感謝いたす。Le ngoc Thao
Kuala Lumpur, 2007年6月

