銀塔 Banh It Tower

ビンディン省は、ベトナム南中部にあって、南シナ海に面しています。
10世紀にベトナム北部にベト族が大越国を建てると、チャンパ王国は西暦1000年、それまでのダナンにあった都を、この地域に遷都しました。クイニョン市から北のほうにかけて、チャンパの遺跡がたくさん現存しています。
写真は2018年10月に訪問したときのものです。1996年5月に訪問したときの写真も数点、掲載しました。

10~15世紀、チャンパ王国の首都だった「ヴィジャヤ」(皇帝の城塞 (Thành Hoàng Đế)

ビンディン省は、ベトナム南中部にあって、南シナ海に面しています。
10世紀にベトナム北部にベト族が大越国を建てると、チャンパ王国は西暦1000年、それまでのダナンにあった都を、この地域に遷都しました。クイニョン市から北のほうにかけて、チャンパの遺跡がたくさん現存しています。
迫力がある。

10世紀、ベト族がベトナム北部に「大越」を建てると、982年、チャンパ王ヴィジャヤ(Yan Pu Ku Vijaya)は現在のダナン周辺にあった都をここ「ヴィジャヤ」に移し、15世紀までつづく強力なチャンパ王国の首都となりました。ヴィジャヤは、皇帝の城塞 (皇帝城)、ドゥバン(Đồ Bàn)城塞、ビンディン城塞とも呼ばれます。 城塞の外側の周囲は約7.4 km、内側の城内の周囲は1.6 km、「紫禁城」の周囲は600 mありました。 ビンディンに現存するチャム塔は、この時代に建設された宗教施設です。
以降チャンパは、北からは大越、西からはクメール、さらには元からの侵攻を受けたり、あるいは大越やクメールに攻め入ったりを繰り返しつつ、繁栄をつづけました。 1145年に、ヴィジャヤはクメールに占拠されたこともあります。
しかし1471年、 ヴィジャヤは大越との戦争に敗れ、崩壊しました。

時代は下り、18世紀のベトナムは南北に分かれて対立し、南部を支配していた広南阮氏においては、官僚の不正がはびこり、飢饉も起き、民衆が疲弊していました。
この地にあった西山(Tay Son)出身の阮3兄弟が西山(タイソン)党の乱を起こして広南阮氏を駆逐し、1776年に西山朝を樹立、阮岳は翌年、再建した「 皇帝城 」で西山王を名のりました。
西山朝第2代皇帝となった阮岳の弟阮恵(グエン・フエ)は、広南阮氏一族の生き残りである阮福暎を追撃していましたが、1792年に脳卒中で倒れ、西山朝は勢いを失っていきます。
そして 1802年、阮福暎は最後の皇帝を破って都をフエとし、西山朝は滅びました。1804年、 阮福暎は清の嘉慶帝から越南国王に封ぜられ、ベトナムの国号は、「越南 (ベトナム)」となりました。
なお、1801年に皇帝城は「ビンディン城塞」と名称が変わりましたが、 ビンディン城塞は1814年、東南に約6km離れた地に新しく築造され、ここも1946年にベトミンによって完全に破壊されました (2005年に復元された「東門」が建っています)。

ビンディン省にあるチャム塔のマップ

チャム塔 (Tháp Chăm)

ツインタワー Twin Towers (Tháp Đôi)
1996年訪問時。 当時は、子どもたちの格好の遊び場でした。

クイニョン市の中心部からすぐ近くにあって、早くから整備が行われました。入場料20,000ドン。ベトナム人の観光客も大勢おとずれていました。 12世紀初めに建てられ、現在は2祠堂ですが、もともとは3つの祠堂があったそうです。

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銀塔 Banh It Tower (Tháp Bánh Ít)
1996年訪問時。当時は塔のところまで、オートバイで上りました。

Con 川と、そこから分流した流れとのあいだに、遺跡はあります。
海抜100mの小高い丘の頂上に、4つの美しい祠(Gate-tower, Stele-tower, Fire-tower, and Middle-tower)が屹立し、いずれも東=南シナ海の方向を正面にしています。
入場チケットを買い、のぼっていく階段が急傾斜になると、視界いっぱいにゲートタワーが広がります。ゲートタワーをくぐるとテラス状になり、そこから急な階段でメインタワーにのぼっていきます。
中央にあるメインタワーの高さは約20メートル、正面には約2mの突き出た玄関があり、全体に繊細な装飾が施されています。塔の内部には、シヴァ神が祀られています (確認していませんが、いま置かれている像はレプリカのような気がします)。
その隣には、馬の鞍の形をした、高さ約12メートル、幅5メートルの塔があります。
約10m低くなった南側にある塔は、4方向に玄関があって、その玄関口を通して見とおす景色は、世界を切り取って小宇宙を観ている気持ちになります。頭頂部もユニークで、上方に徐々に小さく収斂していて、「炎」があるようです。
4つの祠はそれぞれ独自の様式をもっていて、眺めればながめるほど、さまざまな「発見」があり、興味がつきません。この 10世紀に建てられたこの遺跡は、My Son A1スタイルからBind Dinhスタイルへの移行期にあるそうです。

金塔 Phu Loc Cham Temple (Tháp Phú Lốc)
1996年訪問時。このときは、なんとか塔の前までたどり着くことができました。

1996年5月、ダナン空港からビンディン省のPhu Cat空港に午前11時ごろ着いたものの、持っていた簡単な地図には空港の場所は載っていません。クイニョン市街地までどのくらい離れていて、どうやって市街地に行ったらいいのか分からず、平屋の小さな空港事務所の前のベンチに腰かけていました。飛行機から降りてきた乗客20人ぐらいは、みな、迎えの車などに乗って、あっという間にいなくなっていました。空港前の狭い広場には、タクシーも、バイクタクシーも、バスも、停まっていません。しばらくぼーっとしていたら、男性が英語で声をかけてくれました。
「いまの便できょうの離発着は終わり、空港事務所を閉めて職員も帰ろうとしている。クイニョンに行くなら、職員送迎用のバスが1時間ぐらいしたら出発するので、そのバスに乗っていかないか」
と。ベトナム航空の職員でした。
バスが動き出し、両側に商店がびっしり並んでいる細い道を通り、広い道に出たあたりで、窓外に、小山のてっぺんに建っている塔が見えました。ビンディンで見た、初めてのチャム塔に、これから、あそこに行くんだといううれしさが湧いてきました。
翌日、クイニョン市で交渉したバイクタクシーに乗って、金塔に向かいました。遠くからも良く見える塔なのに、どこから近づいていいのか、分かりません。バイクタクシーの運転手は、その存在すら知らなかったようで、あちこちで聞き込みをしながら農道に入っていくのですが、塔にちかづくことができません。行きつ、戻りつしながら、ようやく丘への登り口がある民家を見つけ、そのお宅にバイクを止め、裏庭から山に登っていきました。サボテンや他のトゲのある植物が茂っているところをしばらく登っていくと、テラスのような開けたところに出ましたが、その先に、金塔を取りまいて生い茂る植物の帯が、まだあります。その帯状のところをぐるっとまわって、隙間を見つけ、金塔にたどりつくことができました。
海抜76mの丘に建つ12世紀初めに建てられた金塔は大きく、威容を誇っていました。
さらに、困惑した思い出があります。金塔からバイクに戻ろうとしたとき、運転手も私も、真っ青になりました。塔を取り巻く植物が同じように見え、 灼熱の太陽は真上から我々を照らしていて方角を失い、どこから登ってきたのかが分からなくなったからです。 バイクを停めた民家にようやく戻ったとき、安堵して井戸の水をガブガブ飲んでいた運転手さんの姿が忘れられません。
    ***
2018年10月、こんかいも周辺を行ったり来たりしながら、金塔への登り口の集落までは、なんとかたどり着くことができました。しかし、トゲのある植物が金塔の直下にびっしり生い茂っていて、そこを突破することはできず、金塔まで行くことは断念せざるをえませんでした。礼拝のときなど特別のときには伐採して、行けるのかもしれません。残念でしたが、間近かに立つことができただけでも、満足です。それほど、存在感のある塔です。

銅塔 Canh Tien Tower (Tháp Cánh Tiên)
1996年、Canh Tien Towerから、墓地の先に金塔が見えました。

高さ20mの塔が、周辺より数メートル高い丘に建っています。12世紀にビンディン様式で建てられた美しい塔で、天と地を力強く結びつけているかのように見えます。この時代は、クメール王国とチャンパ王国との間で頻繁にやり取りが行われたため、クメールの影響を受けています。「宗教的には、カンティエンタワーは、カンボジアのアンコール王国のアンコールトムの首都の中央にあるバイヨン寺院のように位置しています。アンコールトムの都市の構造は、首都ヴィジャヤの建設時にチャンパ王に影響を与えました」という研究者もいるそうです。
塔が建っている場所は、チャンパ王国の都があったヴィジャヤの東500mのところにあり、真北には、金塔を望みます。

ビンラム塔 (Tháp Bình Lâm)
民家のあいだから伸びてくるビンラム塔

「皇帝の城塞」から東に向かって、田園地帯をすすみます。
ビンディンにある他の大部分の塔は小高い丘の頂上に立っていますが、このビンラム塔は盛り土の上に建てられた10世紀末の建築で、高さは20m、各辺の長さは11.5mです。
小さな川に沿った細い土手を走っていくと、 農家が密集した集落のなかから、その姿が現れてきます。
小川を下ればすぐコン川(Sông Kôn)に合流し、その河口にあって南シナ海の良港であるチナイ港(Đầm Thị Nại)まで約8kmです。
1996年に来たときは、いまのように金網で囲まれてはおらず、祠のなかは農具などが放り込まれ、村人の物置として使われていたようです。

夕方になってきたので、バイクタクシーに乗ってのチャム塔めぐり1日目はここで終了とし、出発地までの約30kmを戻りました。

3祠の象牙塔 (Tháp Chăm Dương Long)
1996年訪問時は、右の祠は口が開いているが、ほかの2祠はふさがったままでした。

チャム塔めぐりの2日目は、昨日走りまわった地域より西側、アンニョン市からジアライ(Gia Lai)方面に国道QL19号線をすすんだあたりにある2つのチャム遺跡を訪ねます。クイニョン市からの道中の風景も掲載します。
クイニョン市街地から最初に訪問した象牙塔 (Duong Long tower) まで、国道を経由して55km、1時間半。ここは、チャンパ様式とクメール様式が融合した芸術的建築の遺跡です。
北側の塔の高さは32m、中央の塔は39m、南側の塔は33mもあって、ビンディンの他のチャム塔よりも10m以上高い塔です。そして、塔の横には精巧な彫刻が施されているのも特徴です。この塔は12~13世紀の建造で、ヒンドゥー教の3つの神、ブラフマ、ヴィシュヌ、シヴァが崇拝されています。
1996年に来訪の際は、圧倒的な塔の入口で、小学校の高学年らしい男の子たちが数人で遊んでいたことが記憶に残っています。

3つの祠堂の頂部、側面、基底部に施された装飾、あるいは周囲に野ざらしで置かれている彫刻には、ナーガ(ヘビ)などクメールの影響が感じられます。

トゥーティエン塔 Thu Thien Thap Cham (Tháp Thủ Thiện)

象牙塔からコン川(Con River)をはさんだ真南に位置します。バイクタクシーはコン川を、橋桁を木で組み、路面が編んだ竹で出来た全長550mの橋を渡りました。もちろん車は通行禁止で、バイクも、走りながら2台がすれ違うことはできません。最短距離で移動できるとはいえ、バイクの後部に乗っているので、自分で危険を回避できず、運転手さんに運命を預けるのは、いい心地がしませんでした。
トゥーティエン塔は、生い茂る草の中にありました。ミーソンA1スタイルとビンディンスタイルの間の移行期にあって11世紀に建てられたこの塔は、四隅がスッキリしつつ、側面に装飾が施されています。塔の入口に「桟」があり、塔の内部が彫刻で飾られているのは、他の塔に見られない特徴です。

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参考サイト

海底の城壁 TTHÀNH CỔ DƯỚI ĐÁY BIỂN CỦA NGƯỜI CHĂM (Nhơn Hội)

クイニョン市のチナイ海(Đầm Thị Nại)は、チャンパ王国、タイソン(西山;Tay Son)朝、グエン朝などの王朝の運命を決定する、激しい戦いが行われた場所でした。
ノンハイ村(xã Nhơn Hải)の海岸に近い海域には、干潮の時だけ見えてくる海底があります。この海底の壁は、ハイナム集落(thôn Hải Nam)の崖とハイドン集落(thôn Hải Đông)のホンコー島(đảo Hòn Khô)をつないでいます。幅10m以上ある城塞の表面は平らですが、高さは一定ではありません。この城壁の長さや建設時期を正確に知る人は誰もいません。
https://www.facebook.com/BinhDinhThongTin/posts/3474754742638773

上から見たチャム塔

ドローンで撮影した動画が見られます。
The Lost Kingdom of Champa in Binh Dinh
https://www.facebook.com/BinhDinhThongTin/posts/3474754742638773

ベトナムの紹介(写真)

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