キエンザン省 (Tỉnh Kiên Giang) は、ベトナム南部メコンデルタ地方の海に面した省です。 Ba Hòn Đầm はキエンザン省に属していて、ハティエン市は、キエンザン省の西の端にある港町です。
「南のハロン湾」に浮かぶ小さな3つの島 Ba Hòn Đầm から快速船で Hòn Chông 湾桟橋に戻り、タクシーでBa Hon 長距離バスステーションへ行き、バスでハティエン市に移動しました。次の目的地カマウ岬に行くにはカマウ市にたどりつかねばならないのですが、ネットで検索しても、カマウ市まで直行のバスがあるのかどうかという情報が得られなかったのです。カマウ市まで行く長距離バスを見つけるためには、キエンザン省第2の都市であるハティエン市のバスステーションで調べるのがいちばん確実だろうと判断してハティエン市に向かったところ、直行の長距離バスが11:30amにあることが分かり、市内のミニホテルで1泊しました。
以下のスライドショーの写真は、クリックすると、写真の簡単な説明があります。
国境の街であり、フーコック島への玄関口:ハティエン市 (Tp.Ha Thien)
ハティエン市は 市の中心部からカンボジアとの国境まで数キロメートルしか離れておらず、国境検問所があって、人やモノが行き交っています。また、ベトナム最大の島・フーコック島への海の玄関口で、大型のフェリーが運航しています。
ハティエンは、いまから300年以上昔、清朝(満州族)が強制した、男性の長い髪型「辮髪 (べんぱつ)」 のような習慣を受けいれることができなかった中国人 Mac Cuu によって開かれました。Mac Cuu は、国を離れて東南アジアの貿易商となり、1680年にハティエンに来て、そのままこの地にとどまって土地を開拓・開発し、1708年、グエン朝にハティエンの土地を提供したのです。
夜のハティエン市中心部
ハティエン市のナイトマーケット。 広いスペースで、 出店のコマ割りが環状にたくさん用意してあります。
訪れたときは、出店している店が数店しかなく、薄暗く、お客さんも、いませんでした。
かけあしで回ったハティエン観光地めぐり
翌朝、バスが出発するまでの2時間だけ、バイクでハティエン市内を「観光」しました。仏教寺院がたくさんある、という印象です。平地の石灰岩の小さい岩山が点在し、その洞窟の多くも、お寺や神社になっているようです。ハティエンを開発したのが清朝の政策になじめなず国を離れた中国人だったという歴史と関係があるのでしょうか? 表面をながめただけだったので、こんど、ゆっくりハティエン市をまわってみたいと思いました。
それにしても洞窟のなかをめぐるのは、階段がたくさんあって、疲れます。
Phu Dung Pagoda
この Phu Dung 寺は、カンボジアに通じるQL80を曲がり、Mac Cuu 一族の墓所に向かう道路に沿ってありました。立派な門構えで、門前にお店が数軒並んでいたので、寄ってみました。漢字が書かれ、歴史のある寺院のようですが、詳しいことはわかりません。
Buddha temple
Mac Cuu 一族の墓所の隣にあるお寺です。時間がないので、山門の前を通り過ぎました。
Binh San と Mac Cuu
Binh San 山の山腹に、Mac Cuu および一族の墓所とお寺があります。ハティエンの歴史を物語る史跡となっています。
木々におおわれた広い墓所には、 Mac Cuu の墓の一部には中国商人が広西からもちこんだ様式が見られるそうですが、時間がなくて墓までいけませんでした。
寺院は洗練された装飾が施され、門前にはハスの花が咲く大きな池があります。1735年から1739年までの4年間で建てられました。
詳しい解説が、Tạp chí điện tử Thế giới Di sản > Di tích Lịch sử – Văn hóa > Khu Di tích Lăng Mạc Cửu にあります。
Mac Cuuは、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「マク玖」の項 (最終更新 2019年8月6日 (火) 09:41) によると、漢字表記では「鄚玖 (まく きゅう、マク・クゥ)、 ベトナム語表記では「Mạc Cửu」で、生年1655年-没年1736年です。
なお、なお、ベトナム語:『Wikipedia tiếng Việt』「Mạc Cửu」、中国語:『维基百科,自由的百科全书』「鄚玖」、中国語: 『百度百科』「鄚玖」、に詳しいです。
Thach Dong
Mac 一族の墓所から、ふたたびQL80に戻り、カンボジア国境のほうに3kmほど走ると、前方に、コップをかぶせたような岩が見えてきました。Thach Dong 洞窟です。
ここは、高さ80mの巨大な岩(石灰岩)に鍾乳洞が入り組み、階段を上り下りしながらの迷路です。中には Tien Son 仏教寺院があり、また、周囲の眺望を見渡せるところもあります。
ここも時間がなくて、走ってまわりました。見てないポイントもあります。
Da Dung
Tach Dong から北東へ約3km、カンボジアとの国境まで400mのところに、Da Dung 山があります。
チケット売り場の前まで行って、案内図を見たら、見学するにはかなりの時間がかかりそうなので、写真を撮らせてもらっただけで引き返しました。
Ha Tien Border Crossing
QL80にもどったら、3km弱で、カンボジアとの国境検問所に着きました。
このままカンボジアに行ってみたいという誘惑にかられましたが、ベトナムから出国して30日以内の再入国はビザが必要なので諦めました。
ハティエン市からカマウ市へ、7時間のバスの旅
ハティエン長距離バスステーションで、バスの助手は私に、すぐ乗るよう急かしながら、いちばん前の座席に案内してくれました。 私が年寄りなので、いたわってくれました。おかげでカマウ市までの沿道の風景を、たっぷり写真に撮ることができました。このバスはタイランド湾に沿ってキエンザン省を縦断し、さらにカマウ省を横断してバクリュウ省で南シナ海まで抜けるのです。
バスは出発して1時間ぐらいは海岸線を進みますが、その後は運河に沿ってすすみます。運河沿いの道は、どこかのんびりしていて、ベトナムでは当たり前なチキン・ゲーム状態の追い越しも、ほとんど見られません。また、道路を歩いている人の姿を見かけるのも、めずらしい光景でした。半面、道路をながめながら気だるげに座って、煙草を吸いながらコーヒーを飲んでダラダラしている男性の姿は、見かけません。この沿道の男性は働きものなのか、あるいは運河沿いに、のんびりとダラダラできる、いい場所があるのだろうか?
カマウ省にはいると、道路が良くなりました。気がつかないうちに、運河沿いの道から新しい道に入ったのかもしれません。まっすぐ伸びる、両側が緑でいっぱいの道路は、しかし、お店が所々にしかなく、生活感がありません。
午前11時半に出発したバスは、パンク修理、昼食休憩を経て、カマウ市の中心へ午後6時ごろ到着しました。カマウ市は海からも遠いし、メコン川のような大河のほとりにあるわけでもないのに、こんかい通ってきたロンスエン市、チャウドック市、ハティエン市よりも大都会でした。
以下、見出し中のアルファベットは、地図のポイントです。
ハティエン市を出発して、しばらく走ったら、後輪がパンク(A→C)
朝、市内駆け足観光をしてミニホテルに戻り、タクシーでハティエン長距離バスステーション(Ha Tien Bus station)に向かったら、バスはもうお客さんを乗せて、出発準備が完了していました。
バスステーションの写真を撮る時間もなく、やっと車内から撮ったのが左の写真です。
長距離バスは、昨日の夕方、ハティエン市まで乗ってきたバスの出発地 Ba Hon のバスステーションにいったん立ち寄り、すぐ動き出しました。
ハティエン市からBa Honまでは海岸線を走っていましたが、ここからは運河に沿った道路を走ります。時折り、運河を行き来する船がみえます。
動き出したものの、バスのスピードはあがらず、ノロノロ走っています。運転手と助手は外を眺め、何かお店を探しているようです。悪い予感がしてきました。3年前、ムーカンチャイの棚田が見たくて、ハノイを長距離バスで出発ました。しばらく走ったらバスは大きなガソリンスタンドに入り、長時間、「滞在」してしまったのです。故障した部品の取り寄せに時間がかかったからです。
今回は後輪がパンクしたようで、作業に時間はかかりましたが、40分ぐらいで出発できました。その「休憩時間」に、付近をあるきまわることができました。こんな場所に、様々な種類の金魚だけを売っているお店があるのに、びっくりしました。
パンク修理 が終わり、キエンザン省の省都ラチジャー市方面へ(C→E)
パンク修理が終わり、タイヤを車体に取り付ける最終工程。
さー、出発だ。
ラチジャー市内を迂回し、ロンスエン方面、カントー方面の道と別れてカマウ方面へ(E→I)
直進するとラチジャー市街地へ入っていく。
ロンスエン市方面へのQL80は、右に進む。
キエンザン省の省都ラチジャー市内を迂回し、QL80を進むと工業団地が見えてきます。ラックザー空港に近く、海からの運河はメコン川まで通じていて物流は容易な立地なのでしょう。その先の食堂で、昼食休憩です。この先、QL80は北東方向へロンスエン市へと曲がっていきます。バスはそのまま直進し、QL61へとはいっていきます。QL61はカントー市へと向かいますが、バスは 「Honda Thành Phát 3」店の角を右折してカマウ市方面へのQL63を進みます。
カントー市方面への道と別れ、さらに国道からも離れ、運河沿いにカマウ省へ(I→B)
QL61 (カントー方面) と別れ、QL63へ
QL63も、QL61と同じ幅で、込み合うところもなく、バスは快調に走っています。
国道QL63と別れ、細いT7道路を通ってカマウ省へはいる
カマウ省にはいるまで、運河沿いの細い道を、バスはすすみました。両側には商店が、ずらーっと並んでいて、車窓からの風景は飽きません。乗客の乗り降りが頻繁にあります。荷物の受け渡しのためにも、あちこちで停車していました。
国道QL63は左へカーブし、すぐに右へカーブし、また左へカーブしてカマウ市方面へすすんでいきますが、乗っているバスは2回目の左カーブを曲がらず、真っすぐに進む草むらのなかの細い道のほうに入っていきます。
どこに行くんだー???
左に右に、細い道を曲がって、運路沿いの、いくぶんかは広い道に入りました。
この写真の道をまっすぐ行けば、曲がりくねらずに、同じところに合流したと思うんですが、なぜ、ここを直進しなかったのだろう?
カマウ省入り ⇒ カマウ市到着(B→C)
さきほど通ってきた運河沿いの道路のあたりから、カマウ省にはいって進んでいる道路をはさんで、キエンザン省には「ウミントン国立公園 (Vườn quốc gia U Minh Thượng)、 カマウ省には「ウミンハ国立公園 ( Vườn quốc gia U Minh Hạ) という原生林があります。道路から10kmぐらい離れていて見ることはできませんでしたが、いまでも開拓されていない無住地域です。
ベトナム戦争時、「ウーミンの森」と呼ばれたこのあたりは解放戦線の重要基地があり、米軍は、解放戦線の隠れ場所をなくし、食糧供給を断つために大量の枯れ葉剤を散布しました。
いまに至る枯れ葉剤の影響は、たとえば、「exciteニュース おもしろ びっくり 【必読】ベトナム「枯葉剤」の被害は終わっていなかった! 今も苦しむ子どもたちの写真6選とモンサント社の大罪」をお読みください。
道路は幅が広くなり、一直線にどこまでも伸びていきます。
ベトナムの紹介(写真)
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