コンソン島

ベトナム最後の楽園と呼ばれるコンソン島 (Côn Sơn) は、南シナ海に浮かぶコンダオ諸島 (Côn Đảo) のなかでいちばん大きく、ソクチャン省の南東約80km、ホーチミン市の南方約230km、ブンタウ市の南南東約200kmにある島です。

コンソン島の海。
ベトナムの最南端と言ってもいいような北緯8.6度、南シナ海にあります。
アオウミガメの産卵地で、ジュゴンやイルカなどが生息し、サンゴ礁やマングローブなどの豊かな生態系は、環境保全地域として保護されています。

バリア=ブンタウ省に属するコンダオ諸島は16の島々からなりますが、人が住んでいる島はコンソン島だけです。

コンソン島の全長は約14km、幅約4.5km、最高峰の標高は584mです。古代ローマの学者クラウディオス・プトレマイオスが、著書『ゲオグラフィア』でコンソン島の名を記録しているそうです。

私が訪問したのは2014年5月初めでした。ホーチミン市のタンソンニャット空港から双発プロペラ機でコンダオ空港に着きました。

コンダオ空港(Cảng Hàng không Côn Đảo)到着

Six Senses Hideaway Con Dao があり、サイゴンツーリストホテルなどもありましたが、まだ本格的な観光開発は始まっていませんでした。

青色でも、何色もの色がある澄んだ海、深い青色の空、南国の大きく枝を広げた樹。

コンソン島中心部(Cầu tàu lịch sử 914 周辺)

のんびり過ごした日々は、楽園での6日間でした。

コンソン島中心部(Cầu tàu lịch sử 914 周辺)

風景がモノトーンに見えるときもありました。

近代になってからのコンソン島には、楽園とは真逆の「地獄」があったのですが、これについては「「トラの檻」(政治犯収容所)があったコンソン島」で紹介します。

海辺のcafe

こんな景色、こんなシチュエーションにいたらいいなと思っていました。
南国の太陽が真上から降り注ぎ、それを大きな樹いっぱいに広がる葉がさえぎってくれる。海から吹いてくる風が、熱帯の暑さを感じさせない。

島に滞在中、なんどもここに座って、海を見てボーっとしたり、もってきたゲラに目を通したり、あれこれ考えたり、あっというまに時間が去っていきました。

日中、夕方、カフェの前の海岸は、表情を変えます。

カフェの前にいた屋台でココナッツを買い、防波堤にすわって、海岸であそぶ若者たちを眺めていました。

訪問した2014年のとき、特色あるカフェは、カフェ・コンソン以外、あまり見つけられませんでした。とはいえ、道端のカフェも、また味わいふかく、落ち着きます。

いちば

コンソン島の中心部にコンダオ市場(Chợ Côn Đảo)があります。

毎朝、市場に出かけ、市場の中の食堂でブンリュウ麺を食べたり、市場の並びにあってお客さんが大勢いる店でフォーを食べたりしました。

コンダオ市場

市場には、魚を売っているお店が多かったようです。

その場で食べられる美味しい食べ物も売っています。

中心部たんぼう

コンダオ寺とハンズオン墓地

コンダオ寺

立派な門が見えたので、入ってみました。コンダオ寺 (Đền thờ Côn Đảo) です。真新しい建物です。
ベトナム人が団体で参拝に訪れていました。

Đền thờ Côn Đảo
Đền thờ Côn Đảo

ハンズオン墓地

コンダオ寺から団体参拝客たちが、ぞろぞろ奥のほうに歩いていくので、ついていってみました。

Nghĩa trang Hàng Dương
コンダオ寺に参拝していた団体の人たち

彼らは、深い緑色の制服を着た門衛が立っていて厳粛さを感じる門をくぐって、公園のようなところに入っていきます。
門の上には “Nghĩa trang Hàng Dương” と記されています。

Nghĩa trang Hàng Dương 入口
Nghĩa trang Hàng Dương 入口

ここは、フランス植民地主義者、アメリカ帝国主義の侵略に抵抗して戦い、捕らえられた革命戦士や愛国者たちが眠っている墓地でした。コンソン島には、19世紀以来、延べ20万人の政治犯が収容され、2万人以上が亡くなったといわれる刑務所=政治犯収容所がありました。

Nghĩa trang Hàng Dương
コンソン島の政治犯収容所で獄死した人たちの墓碑

墓地の中央に慰霊碑があり、コンダオ寺から歩いてきていた団体の人たちは慰霊に訪れていたようです。

Nghĩa trang Hàng Dương 慰霊碑
Nghĩa trang Hàng Dương 慰霊碑

フランスの支配に抵抗して捕らえられ、コンダオ刑務所で処刑された19歳のヴォ・ティ・サウ(Võ Thị Sáu)の墓も、ここにあります。

ヴォ・ティ・サウの墓
ヴォ・ティ・サウの墓

ヴォ・ティ・サウ公園

ハンズオン墓地からコンダオ博物館に向かうと、海岸沿いに、海や島や漁船が素晴らしい景観を見せてくれるヴォ・ティ・サウ公園(Công viên Võ Thị Sáu)があります。

Vo Thi Sau――いつもどこかで見たような記憶がある。あまりにも多くの場所で接していて、いつの間にか記憶に刷り込まれたような気がする。 ベトナム語Wikipediaで調べると (もちろん、自動翻訳をさらに私的に解釈して)、「彼女は英雄的な女性として知られており、人民軍ヒーローを授与された」人の名前だった。

1933年生まれ、1952年1月23日、19歳で亡くなる。 14歳のとき(1947年)彼女は、兄たちと同じように革命活動(抗仏運動)に参加した。1949年、彼女は警察への攻撃チームに参加した。 1950年、彼女は「手榴弾を投げて当局の責任者を殺害し、20人のフランス人兵士を傷つけた」容疑で逮捕され、フランスの軍事裁判所は1951年4月に死刑判決を下した。

この間、拷問、監禁をされ、フランス軍によってコンダオ刑務所に送られる。
弁護人は、裁判所に、「彼女は18歳未満である」という理由で異議を唱えたが、翌年、コンダオ刑務所で銃殺された。

一つの逸話がある。 死刑執行人が彼女に死刑執行を告げ、彼女に、ひざまずくよう言った。
しかし、彼女はこう叫んだ: 「私はひざまずくことを知らない。立っているのだ!

彼女の名前を冠した学校、道路は、ベトナム全土にあります。私たちが奨学金を贈っているチャウドック市の高校も、ヴォ・ティ・サウ高校という名前です。

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ちなみに、宿泊したところは ” Hai An Hotel” という、中心部にあって、市場まで歩いて5分もかからない便利なロケーションにある家族経営のミニホテル(1泊税サ込28USD)で、バルコニー付きの広い部屋でした。
泊まって数日間はほかのお客がいる気配はありませんでした。ところがある日、外出から戻ったら、日本語が聞こえ、ベトナム人ガイドと数人の日本人がいたのです。彼らはアマチュアながら蝶マニアの一行で、南国の蝶採集専門の人たちでした。6日間、この一行以外、この島で日本人を見たことはありませんでした。
感心したことがあります。彼らは、蝶採集という1点の目的だけで、来ていました。朝食や昼食は、日本から持参のインスタントラーメンや缶詰を食べていました。夕食はチャーターした車に乗ってどこかで食べていたようです。こんなぐあいで、町には出ません。市場に行かないのか聞いたところ、まったく関心がないようでした。まして、屋台で食べるなどとんでもないことのようです。万一、体調を崩したら、採集に行けなくなってしまうからです。夜は、集まって翌日の作戦をガイドとともに熱心に相談していました。目的によって、旅のしかたがこんなにもちがうものかと考えさせられました。
あれから6年、ホテルは改装して “Lighthouse Boutique Hotel” となっています。
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島の様子も、6年間で変わってきたようです。当時もシュノーケリングツアーは行われていましたが、いまは、マリーンアクティビティや環境観察ツアーなどが多様に行われるようになってきたようです。たとえば、「🌈🌈Tour ghép: Lặn biển xem san hô 🤿🐟 Xem rùa đẻ trứng 🐢 🏝」を参考にしてください。

ベトナムの紹介(写真)