カオバン市から北北西へローカルバスで1時間半、さらにバイクタクシーで20分。1941年にパリから中国経由で帰国したホー・チ・ミンが革命の構想を練った「聖地」があります。
ホー・チ・ミン(Ho Chi Minh)がこもったパック・ボー(Pac Bo)洞窟
パックボーは中国との国境地帯にあり、山を登った数キロ先は中国です。
Cao Bang市のホテルで私をピックアップしてくれたミニバスは、トウモロコシ畑が多い高原を 45km、1時間20分 (35,000ドン=約180円) 走った道端で、私を降ろしてくれました。
バス停にたむろしていたバイクタクシーと交渉し、ホー・チ・ミンがこもっていた洞窟へ連れていってもらいます。道は山の中へと向かいます。しかし、道路は広く、舗装もしっかりしていて、中部山岳地帯の道路状況とは比べ物にならないくらい整備されています。
ホー・チ・ミンがパリから中国経由で国境を密かに越えて30年ぶりに帰国し、1941年1月28日から2月7日まで滞在して、革命思想・革命の構想を練った「聖地」です。パックボー国家遺跡 (Khu di tích lịch sử Pác Bó) として、整備されています。
ホー・チ・ミンが名づけたという「レーニン渓流」の流れは静かで、浅く、渓流を伝わって移動していれば、隠れていた洞窟の場所は見つからなかったでしょう。
バイクタクシーの運転手さんは、土産物店が並ぶ駐車場からさらにバイクではいれる奥まで乗り入れ、そこで待っているのかと思ったら、歩いて洞窟のほうへと私を案内してくれました。
岩がゴツゴツした急な坂道を登っていくと、中国から密入国したホー・チ・ミンが2週間隠れていたパックボー洞窟がありました。
中は暗い鍾乳洞でした。
しばし、洞窟の中にたたずみ、ホー・チ・ミンが「さあ、始めるぞ!」と決意した気持ちを感じようとしました。
出口の近く、洞窟の岩の一部に、こんな破れたところがありました。岩のように見えますが、整形しているんですね。
そうなると、いま回った洞窟の内部は、どこまでが本物の岩で、どこからが作り物だったのだろうか。。。
革命の少年英雄キム・ドン(1928-43年)記念碑
カオバン市へ戻るバスの停留所まで、 バイクタクシーに連れて行ってもらう約束です。停留所までのちょうど真ん中あたりで運転手さんが、工事中の記念公園らしきところに案内してくれました。
壁画があるので、革命犠牲者の慰霊所とは思ったものの、そのときは、どんな場所か分かりませんでした。
帰国してから調べたら、このあたり出身の少数民族ヌン(Nung)族の革命英雄キム・ドン(本名:Nong Van Den; 1928-43年)を記念する慰霊所でした。
キム・ドンは、13歳のとき、つまりホー・チ・ミンがこの地に革命基地をつくった1941年から革命的な仕事に参加しました。
重要書類の送達、幹部たちの道案内、会議の安全確保やホーのボディーガイド等。
そして15歳のとき、活動中に小川で敵に見つかり、銃弾を受けて亡くなりました。亡くなるときの様子については、こんな異説もあります。敵に見つかったとき、携行していた重要書類を口に含み、自爆したと。
このモニュメントの前を小川が流れていました。この小川でキム・ドン少年は亡くなったのでしょうか……。
参考:1945年までのホー・チ・ミン
仏領インドシナだった中部ゲアン省の貧しい儒学者、グエン・シン・サックの子として1890年に生まれた(生家については「ゲアン省の省都ヴィン市と、革命家の生家を訪問」をご覧ください)ホー・チ・ミンは、父親のグエン朝任官とともにフエに移り、1909年5月18日から1910年6月30日までビンディンに滞在し、1911年6月5日サイゴンを出帆してフランスへと向かいました (クイニョン市市街地風景)。1917年ロシア革命に影響を受けたホーは1920年フランス共産党結成に参加し、1930年ベトナム共産党(インドシナ共産党)を創立します。
第二次世界大戦が勃発し、インドシナをめぐる列強の力関係が変化した1941年、ホーはベトナム独立をめざし、フランスから中国・雲南を経て、30年ぶりに密かにベトナムに戻ります。
最初の住処はパックボー洞窟でした。このときホー・チ・ミンは51歳。ここに1941年1月28日から2月7日まで滞在し、革命の構想を練ったと言われます。
そして、ベトミン(ベトナム独立同盟会)を組織して、フランス帝国主義とファシスト日本に対するゲリラ戦を始めます。ところが、1942年協力を求めて訪問した中華民国で中国軍閥に逮捕され、釈放されてベトナムに戻ったのは1944年になってからです。翌1945年5月下旬から8月22日まで、ホーはトゥインクワン省タンチャオ村のLán Nà Nưaに移り住んで、「8月革命」の準備と指導を行います。
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