10月5日~10月13日、ニン・ビン省のチャット・ビン中学校、キム・ソンB高等学校の学生への奨学金の提供と交流を終えた後、中部のホイアン、フエの名所を見学して、ホーチミンを回って帰国しました。
多くの出会いがありました。また、雨季にもかかわらず、洪水もなく、傘も使わず、汗もかかずに済みました。
10月5日(金)
ハノイのノイ・バイ国際空港で旅のメンバー16人が合流した。


空港内で円をベトナムドンに両替したが、レートは1円が約260ドンであった。
チャーターした大型バスで宿泊先のホテル「ニン・ビン レジェンド」に移動した。

ホテル内で夕食を摂った後、メンバーが持参した2校へのお土産の仕分けをした。


10月6日(土)
朝8:30にホテルを出て、キム・ソンB高校に向かった。
途中、水田が地平線まで拡がっていた。

◆キム・ソンB高校の訪問
校庭でシン校長の出迎えを受けて、会場に案内された。

学生全員(40人)と先生方が、会場(講堂)に集合していた。
式典会場の標題には、‘夢に翼’を,という言葉が添えられてあった。

1 式典での挨拶(通訳はカーさん)

――今年は、FUJI教育基金から2回目の奨学金をいただくにあたって、学校がスタートしたときに訪問していただき、ありがとうございます。
私たちが厳しい教育条件のもとに置かれていることを分かって励ましてくださることに、感謝します。
皆さんからの奨学金を、「金の翼」と名づけています。
去年、FUJI教育基金を受けた学生たちががんばって勉強し、皆さんの期待にこたえ、キム・ソン県においてだけでなく全国レベルでも、学力レベルがあがったことを報告します。――
(b)FUJI教育基金の挨拶(滝本)

教育基金の紹介、奨学金の原資について説明した。
奨学金の額そのものは少ないが、勉学の励みになり夢を実現するための翼になれば幸い、と挨拶した。
(c)学生代表(女子学生2名)
奨学金に対する感謝のあいさつがあり、奨学金は高校を続けられる糧になった。また、精神的な励みにもなっている。
奨学金を心に刻み、勉学に励み、社会に貢献したい。
道徳と学業の修得に努める、等の表明があった。
――フオン(Bui Thi Thanh Huong)さん:
私は去年、20人の奨学生の一人として、奨学金をいただきました。
私は生活が厳しいなかで、どうやって学校を続けたらよいのか困難を抱えていました。
そのときFUJI教育基金をいただいたのです。
奨学金で教科書、学用品、そのほか勉強するために必要なものを買うことができ、勉強を続けることができました。
皆さんからいただいたお金は、将来を考え、学業に必要なもののために使おうと思っています。
私たちは、皆さんに約束します:がんばって勉強し、奨学金を役立て、困難な環境にあっても目的を達成します。去年奨学金をいただいた生徒たちは、いただいたお金をつかってがんばり、いい成績を残すことができました。今年、皆さんが学校に来てくださったことは、私たちにとって、すばらしい意義のあることです。
FUJI教育基金の皆さん、来賓の皆さん、教育委員会の方々、先生方に、次のことを約束します:この奨学金のことをずっと心に刻み、それを励みにして、一生懸命勉強します。すべて社会のために貢献できるように努め、次の世代に皆さんのような精神で接していきたいと思います。――
――フエン(Trinh Thi Thanh Huyen)さん:

私は、FUJI教育基金から奨学金をいただいたことを喜び、自慢しています。
皆さんがキム・ソンB校に去年から関心をもち、奨学金を贈ってくださることを感謝します。
FUJI教育基金は、困難な環境にいる私たちに、単なる物質的援助だけでなく、精神的に応援してくれ、私たちが伸びる道を与えてくれました。
皆さんの心に対し、私たちは次の世代の教育に、そして社会的に貢献できるように考えています。
私たちはきちんと勉強し、皆さんの期待を裏切らないように誓います。――
(d)学校紹介(シン校長)

高校の設立は1966年。現在の学生数は1,220人で30クラスである。
農家の子弟が多い。
学生の成績はニン・ビン省のトップである。
(学校の概要は栞にも記載されています。)
――きょうはキム・ソンB高校にとって、いい日です。FUJI教育基金の方々が学校を訪問し、むずかしい勉学条件の生徒たちに奨学金を与えてくれました。
キム・ソンBは1966年以降、46年間、発展してきました。
2012-2013年は、先生方・職員を含めて80人、生徒は1,220人、クラスは30(38?)あります。
成績はニン・ビン省のトップで、全国的にも高いレベルです。
この学業の成果は、先生方が頑張った成果でもあります。
キム・ソンBの生徒のほとんどは農家で、村の生徒たちがこの成績を残したのは、先生方の成果です。
そして、生徒への関心をもってくれた人々のなかに、FUJI教育基金もあります。
生徒たちに条件を与えてくれたことに感謝し、また、生徒の親を代表して子供たちに機会を与えてくれたことに感謝します。――
(e)卒業生の挨拶(ザンバリー)
去年、奨学金をいただき、大学に合格できた。FUJI教育基金に感謝するとともに、これからも頑張って社会に貢献できるようにしたい。
チャット・ビン出身のFUJI教育基金のKhaさんに質問があります。どういう動機で日本に留学し、なぜ、こういう奨学金授与の仕事をしているのですか?

Khaさんのこたえに、感激し、ふたりで抱き合っていました。
(f)奨学金の授与
式典の最後に奨学金(150万ドン/人)が参加メンバーから40人の学生に手渡された。


2 教師との意見交換会
校長、副校長の他、7名が参加した。
学校側にいくつかの質問があった。
(a)奨学金の対象学生をどのように選んでいるのか?
成績が基準で、家庭の状況をお互いに知っているので各クラス1名ないし2名を、生徒が選び、
学校側で成績等を考慮して決めている。
(b)経済的な理由での退学者はいますか?
そのような理由での退学者はいない。
先生が親を説得したり、国の助成策の活用等で対応している。
(c)学生の進学率は?
専門学校、大学等への進学率は75%である。
(d)校長をはじめ先生方が皆さん若いが?
校長は1979年生まれで、ハノイ大学の化学科卒。
2008年にキム・ソンB に着任し、2010年1月から校長になった。
戦争が終わって教師になった第一世代が一斉に退職し、交代で新しい教師になった。
そのあいだの世代の先生は採用がなかった。
キム・ソンBの先生の平均年齢は28歳。
若いので、生徒との距離も近く、新しい知識をもっている、馬力もある。
将来的にはしばらく教師の採用枠がなく、教師の若返りが当分なくなる等の弊害を心配している。
3 先生達との会食
先生方と昼食を共にした。
店は大衆食堂のような感じで、自家製の焼酎、地元のおいしい米(かおり米)をいただいた。


若者達の職業を尋ねたところ、農業が多い。
また、韓国や日本に働きに出るも者もいるとのことであった。
チャット・ビン中学校の訪問
学校まで大型バスで行けないために先生方が小型車やバイクで途中まで迎えに来ていた。

学校には午後3時頃に着いた。生徒40人全員と先生及び関係機関の皆様が教室で迎えてくれた。授業も終わっていたので校内は静かだった。


(以前、生徒達に家庭や生活、学費等を調査した結果が栞にあります。)
1 奨学金の授与式
(a)タク校長
歓迎のあいさつと学校の紹介があった。
学校創立38年、現在の生徒数は230人。
(b)キム・ソン郡党委員会書記
11回目の訪問に感謝の意を表された。
奨学金は学校全体の学力向上になっているとの挨拶があった。
(c)FUJI教育基金(宮下)
(d)チャット・ビン地区党委員会書記ワンさん
チャット・ビン地方政府を代表して、チャット・ビン中学の生徒に関心をもってくれたことへの謝意が表された。そして、教育レベルが上がったとの報告があった。
(e)生徒代表
奨学金に対する感謝の挨拶があった。

――きょうは、奨学金をいただき、自慢できる思いです。
学校に来るのが誇りです。
学校に来て、新しい知識を増やせることに感謝しています。
FUJIの人たちは、去年、日本に大きな災害があって、経済的にもたいへんだったのに、私たちに関心をもって学校を訪問していただき、感謝します。
精神的な面でも、私たちのがんばろうという気持ちが一歩進み、私たちへの励ましになります。
私たちは、がんばって勉強します。
そして、次の世代の生徒たちにもこの幸福を与えてもらうことを希望します。――
2 奨学金の授与
奨学金(120万ドン/人)は参加メンバーから40人の学生に手渡された。
3年連続で奨学金を受けた生徒を尋ねたところ、11名が手を挙げた。



3 先生たちとの意見交換
式終了後に先生たちと同じ会場で意見交換を行った。

校長先生は、16年目になる。ニン・ビン省の出身。
現在生徒は232人、先生は26人いる。クラスは8クラスで、1クラス30人弱である。
(*)生徒数の減少について
1夫婦子供2人までとの国策により減少している。
(*)授業について
教室も増設されて、午前・午後の2部制の授業は無くなった。
校舎も増築されて、施設も標準的になっている。
10月7日(日)
チャット・ビン中学校の生徒、職員の皆さんとバス2台に分乗して、クック・フォン国立公園にハイキングに行った。

約2時間の行程で車酔いをした生徒もいた。
石灰岩の洞窟、



千年樹がある原生林、

絶滅危惧種になっている霊長類(手長猿、尾長猿)の仲間を保護している施設等を見学。


普段は平坦な水田地帯に住んでいる生徒たちにとって、自然林は印象に残ったと思います。
湖のほとりの施設で、昼食を食べ、


公園で別れて、

ハノイにバスで移動。




ホテルチェックイン後、みんなで夕食に出かけましたが、午後ハノイに到着し、ホテルで合流予定だった佐野さんと桃田さんをうっかりホテルに忘れてしまいました。大変申し訳ございませんでした。
10月8日(月)
ハノイから帰国する人、新たに加わる人とメンバーの変更があった。
飛行機でダナンに着き、空港ではガイドのハイ(海)さんが待っており、バスでホイアンに向かった。
ユネスコの世界遺産に登録されている古い街並みを見学。
朱印船交易で栄えた16~17世紀にかけて日本人町(居留地)があり、日本人によって造られた橋と京都の町屋を思わせる家の造りが観光名所になっている。
江戸幕府の鎖国政策により日本人町が衰退した後は華僑が多く移り住んだため、古い建物や街並みは中国南部(福建省)の色合いが濃いとのことだ。
店先のランタン、落ち着いた街並みが印象的だった。
10月9日(火)
静かな田園風景に囲まれた川辺のホテルで朝食を摂った後、ホイアン孤児院を訪問。
1984年から当施設で勤務しているコン主任から、施設の説明と案内を受けた。
――施設の収容者数は、乳児を含む障害児が28人、小学生~高校生が52人。
スタッフは26人。運営は国の負担、寄付金により賄われています。
1人、1ヶ月当たりの食費は56万ドン(2,150円)、衣服代が37万5千ドン(1,440円)です。――
その後、4~13世紀にわたりチャンバ王国の聖地で、宗教建造物が残っているミーソン遺跡を見学。



見学後、ダナンに戻り、昼食を取ったその場で、滝本さんの尺八のお披露あり。

一足先に帰国する葛城さんと、ホーチミン市に行く現地スタッフのニャンさんを空港まで見送ってから、
2005年に日本の援助により開通したトンネル(全長6.3km)を抜けてフエへ。
10月10日(水)
1 古都の見学と宮廷音楽の鑑賞
かつて、グエン王朝の都であり、1802年から30年の歳月をかけて建設された王宮を見学した。
宮廷内の劇場を復元した建物では、取材を兼ねた演奏と舞踏が行われていた。

音楽は102歳になる元宮廷音楽師の記憶をもとに復活したとのこと。
その後、トゥドゥック帝廟を見学。
2 日本酒酒造会社(フエ食品有限会社)の見学
ベトナム産の米(長粒種)を使用した清酒と焼酎などを醸造している日本企業を見学した。
日本からの出向社員2名から説明と案内をいただく。



当初は日本への輸出が目的であったが、採算が合わず、製造の8割がベトナム内での販売とのことであった。
また、長粒種の米は高アミロース米で硬く、蒸し時間が通常の2倍、それに合った酵母の選抜など手間がかかる、と酒造りの担当者が話していた。
http://www.huefoods.com/
3 歴史研究家 スワン先生宅を訪問
地元フエの歴史に造詣が深い、スワン先生からベトナムと日本との歴史的なつながりについて講話を受けた。

その後、郊外のレストランに移動、夕食を共にとりながら、また話を伺った。
10月11日(木)
フエで私塾を開設して日本語を教えているリエンさんの教室を訪問。
ちょうど、大学生など約20人が日本語の指導を受けていた。

学生3人の自己紹介を受け、阿部さんが代表して自己紹介の手本を示した。
また、歌の交換を行った。
学生達は、ベトナム統一の歌「フエ・サイゴン・ハノイ」を歌ってくれた。
フエのデパートでの買い物を済ませて、フエ空港へ移動。宮本さんがハノイへ向かうため空港でお別れしてホーチミンに向かった。
10月12日(金)
日中はホーチミン市内の観光や買い物。
夜は市内の中心地で上演されている伝統音楽と舞踊を見学した。
ベトナム独特の楽器(竹琴、石琴、一弦琴)が、一流の奏者により演奏された。
踊りもフエで見た宮廷舞踊をアレンジしたもので、ショー化されていた。
10月13日(土)
メンバーも少なくなったが、サイゴン川のクルーズ、高層ビルでの展望を楽しんだ。
深夜の便に乗り、皆さん元気に帰国。
(以上、滝本記)

